IS11CAとモバイルバッテリー

昨年の2011年12月に、auとカシオのスマホG'z oneのIS11CAを買った。購入理由は防水・防塵・耐衝撃。iphoneが防水でさえあれば、そちらを買ってはいたが。まあ、防水その他のタフネスを重視する人間は、使うな、ということなのでしょう。

[症状]
それはともかく、現時点でIS11CAの最大の難点とおもわれる状況に先日来見舞われていました。

それは、付属(というか、厳密にはショップから無料でもらったもの)のau共通ACアダプタ03(製造はミツミ電機)とmicroUSBケーブルだと、充電されないという現象。

症状は、これまではmicroUSBケーブルを差し込むと、普通に赤ランプが点灯し、「充電中」と表示されていたのが、ある時から「USB接続」と表示され、「USB接続の種類を選択してください」という画面になったり、「外部メモリ転送モードをONにする」という画面になったりする。

結局、なんども抜いては差ししていると、やがて「充電中」になるのだが、それでも、10回以上、そういう抜き差しをやるのは、正直、かなりストレスです。

[auの答弁]
auに聞いたところ、設定で「充電」と「USB接続」を選択できるはずなのだが、この機種にはそれがない、とのことでした。

つまりは、microUSBケーブルを通常の充電使用の場合と、メモリ転送の場合とを「誤認」するという現象なのでしょうけども、設定機能がないというのであればしかたない。

とりあえず、ネットでの口コミなどの情報を漁ってみると、どうにも「充電専用ケーブル」でないと、充電されないという現象があるようです。

[購入と解決]
ということで、モバイルバッテリーとケーブルを買いにいき、悩んだあげく、以下のものを買いました。
エレコムDE-U01L-1810 GN
・(製造 オズマ株式会社) IUC-SP03 の「充電専用ケーブル 20cm」

 後者の「充電専用ケーブル」はさすがにばっちり使用できました。

ただし、エレコムDE-U01L-1810 GN付属のUSBケーブル[USB A オス↔micro B オス]だと、au共通ACアダプタとmicroUSBケーブルと同様の、「USB接続」として認識し、充電されませんでした。その後、また差し込みを繰り返すと、ようやく「充電中」になりましたが。。

あと、ついでに予備の充電用アダプタとして
・ブライトンネット BI-SQUAREUSB/B
を買った。

[参考資料]
http://arkw.wordpress.com/2011/07/16/au-gzone-is11ca-by-casio%E3%80%80レビュー/
こちらのブログに、「D+/D-をショートしたケーブルやアダプターを使わないと充電出来ない場合が多いようです」とあります(2011年7月16日記事 8月1日追記)。
http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000251734/SortID=13326638/
にもいろいろと情報あり、参考にさせていただきました。

[結論]
結論からいうと、なによりも問題はケーブルのようです。
IUC-SP03の充電専用ケーブルだと、au共通ACアダプタでも、現時点では「誤認」することなく、充電されています。なお、このIUC-SP03は2009年以降のmicroUSBを持つスマートフォンに対応しているとのこと(裏面説明より)。

新年はやはり

とあるところで話してて、やっぱり、はてなは偉大という話になって、大分、放置していたが、なんか書くか。

うーん。あけましておめでとうございますw

昨年を振り返ろうにも、膨大すぎて書けん。

孔子孟子がやはりすごい件。

ずっと探していたマクニールの『戦争の世界史』を長崎駅前のほんだらけで入手した件。

うどんや羊羹を作った件。

そしてなにより、小学校のスーパーカー消しゴム以来、封印していた自動車のすばらしさに目覚めた件。東京モーターショーに初めて行ったが、感銘をうけた。未来を志向することの健全さについて。

震災はいわずもがな。震災以後の時代精神および言説について、いろいろ批判したいところもあるが。たとえば、「3.11以後、世界は変わった」みたいな言い方。震災の衝撃はわかるけれども、それを超越論的に、特権視することは、非歴史的であり、したがって、現実の重力を見失う。むしろ、日本における地震の歴史を調べることの方が重要であるし、よっぽど、発見がある。実際、福島問題にしても、その根本原因には、歴史の喪失、健忘症がある。人類史および文明史を少しでも勉強すれば、人間がそうは変わっていないことが、決して否定的な超越論に陥らずに理解することができる。

温故知新とはよくいったもの。孔子論語はたしかに非常に面白いのだが、そのことごとくが、あまりに当たり前で驚くばかりだ。しかし、そのような当たり前のことが記された書籍も珍しい。思想のラディカルさでは、墨子荘子、またはイエスの方が勝っているかもしれない。しかし、孔子の、どこまでも世俗、社会、人間の限界を認識したうえでの思想はやはり比類ない。その意味での匹敵は、ゴータマ=シッダルタか。

欧州がこのまま、シュペングラーよろしく没落するか、アメリカによる中国包囲網戦略が妥当するか否か、あるいは停戦中の朝鮮戦争が再開するか、それはいずれも不明であるが、ひとりびとりが懸命に人生を生き抜くしかないということ。

イクメンよろしくガキと付き合うにしても、相手は猛獣、いな怪獣である。

惑星的な、あまりに惑星的な

3/19本日、19年振りに月が地球に最接近している。月が地球と最も遠い距離にあるのと比べると、14%も大きく、30%も明るい。「スーパームーン」というらしい。1993年以来のことだという。これまでに1955年、1974年、1992年、2005年に起きた。
 2004年12月のスマトラ島地震の二週間後の2005年1月にもスーパームーン現象が起こった。1974年のオーストラリアのトレーシー台風のときにも。そして、2011年3月11日の東北関東大地震の一週間後の3月19日…。
 と、こうしてデータを出されると、どう考えても、月の引力がプレート運動を誘発したのではないか?と思いたくなる。が、天文物理学的には、地震と月の運動との関連は無関係、ないし関連性は証明されてはいないとのこと。(無関係であるということをいかに証明できるのだろうか、ってこれは悪魔の証明。)

 また、NASAが発表するところによれば、今回の地震で太平洋プレートが動いたことで、地球の自転速度が上がり、一日の長さが1.8マイクロ秒(1マイクロ秒=100万分の1秒)だけ短くなったという。地球には、自転の回転軸である地軸と、地球の質量的なバランス軸である形状軸とがある。地軸と形状軸は約10m離れているが、今回の地震形状軸が約17cm動き、地球が一時ぐらついた。

 今回の震災には人災の側面ばかり、議論されるし、それはある意味当たり前で健全であるともいえるのだが、一方で、このような自然史的な視点を持つのも重要であると思う。
 今回の地震は、「人間」の枠を超えるような出来事であるのは間違いないし、地震学者もいっていたように、「科学」ないし「人知」を超えるような事態だった。だからといって、国の原発リスク対策の不備の免罪になるわけでは勿論ない。
 6500万年前には、直径15kmの小惑星が秒速20km(時速だと×60×60で、時速72000km)で地球表面に激突した。そのエネルギーは原爆の10億倍。M11以上の地震と、300mの津波が発生し、大気中にすすや硫酸塩が舞い、太陽光線を遮った。地球は極度に寒冷化し、生物の6割が絶滅した。1億5千万年ものあいだ生物の王であった恐竜も絶滅した。その痕跡がメキシコのチクシュルーブ・クレーターである。
 この想像するだに恐ろしい事態も、今日の科学では、ひとつの事実のデータとしてある。
 このような地球に向かって襲来するものへの対策がどこまでとられているのか?と問うのはやさしいことだ。もしかしたら、衛星兵器がこのような衝突物を破壊し、破片に変えるような作戦も構想されているのかもしれない。
 しかし、秒速20kmで向かってくるものに対して…

このようなことをみだりに語ると、すぐに「極論」だとして片付けられる。しかし今回の震災は「極限」的なものであるのは統計的にも歴史的にもたしかだ。
 「極論」を片付けてしまう思考様式とは、あくまで「人間」の枠内にとどまろうとするものだ。そこに閉じこもる、といってもいい。
 しかし、自然はすでに「人間」を超えたものだ。私は、そのような自然の極限にも、「人間」の思考と想像力は及んでいると考えるし、事実、科学はそこまですでに踏み込んでいる。近代科学だけではない。古代の思想にしても、自然哲学にしても、むしろ果敢にそのような極限の自然に向き合ってきた。今回のような自然災害、自然の災厄にしても、同じことだ。そうして人間はつねに極限の自然に晒されており、あるいはまた、人間という存在自体がすでに、いわば極限の自然でもある。
 極限の自然は、存在がたまたまあるという偶発性を露出させる。そして、その偶発性に耐えることこそが、人類の営為であり、あるいは人生の根幹である。アメリカの哲学者リチャード・ローティは、この「偶発性に耐える」という論点から、ニーチェプルーストといった思想家・芸術家を論じた。しかし災厄、または極限の自然が、圧倒的な暴力でもって現前させるのは、「偶発性に耐える」ことはすべての人類に本来的に要請されているということだ。

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http://rocketnews24.com/?p=79206
NASAは日本の地震スーパームーンとの関連を否定。http://rocketnews24.com/?p=80466

災厄の彼岸

私の過去の2005年の時点でのエントリー「パニック/カタストロフ」
http://d.hatena.ne.jp/kairiw/20050825

なお現時点で修正したいところも多々あるが(デマを事実として受け止めていた)、6年後、こんなことになるとは。しかし、6年前に暗澹たる気持ちになったパニックへの恐怖感は、現在、ない。
 
様々な経験と歴史を経て、日本市民は、パニックへの対処法を確実に習得していることを実証した。
東アジア社会における「集団主義」は、欧州型の「個人主義」と比べて、そのデメリットばかりが強調されるきらいがあり、わたしもこれまでことあるごとに批判してきたが、今回の事態をみるにつけ、災厄への応対という点においては、圧倒的な有意性を示したと思う。

いくばくかのデマも流布したし、まだ原発もカタストロフィックな事態を抱えている。また、今後の事態の進展によっては、パニックが起こらないとはいえないかもしれない。しかしすべてのパニックは不安と恐怖から生まれる。デマは情報不足による不安の表現である。不安と恐怖をもたらすのは、心または精神のメカニズムである。
 仏教はこの精神の均衡状態を維持するために、悟りという理論をつくりあげている。悟りとはबोधि ボーディ、菩提のことで、輪廻の迷いから智慧の力によって、解脱していくことだ。このような仏教における心の理論は、カタストロフに対して思想として非常に有効であることをあらためて思う。
 不安こそが最大の敵なのであり、その不安を消去するのは、他者および自分への信頼である。セム一神教は「祈り」をもってこのことを実現するが、仏教は、どのような環境下でも分別(西洋はこれをraison理性と呼んだ)を持ち、観察し、分析していくことをプログラムの根幹に置いた。セム一神教をおとしめる意図はまったくないが、私は仏教の認識理論は、実に正確であったとあらためておもう。
 なお、破壊主義的な精神というものがある。それはニーチェの言葉でいえば、否定的一元論というものであるが、事象や事態の否定的な側面だけにしか興味を持たず、ただひたすら破壊へのフェティシズムだけを妄執する精神のことである。
 本当のカタストロフが発生したとき、そのような破壊主義的な一元論はまったくの無力であるということも、今回あらためて認識した。
 思えば、デマやパニックはそのような破壊主義・否定的一元論がもたらす。否定的一元論は、人類の営為の一切を否定し、あらゆる希望を侮辱する。
 そのような、人類に災厄がふりかかることをどこかで所望するような思考形式と、テクノロジーへの過度の信頼とは、どこかで相関しているように思われる。 
 
 今後、日本経済はともあれ、世界のエネルギー政策は変わらざるをえない。原子力をさらなる高度な管理下において利用することは、世論を説得させることができないという意味で、無理だろう。もっとも、原子力の研究は今後もなされるべきである。
 代替エネルギーの開発や、低エネルギー環境にたえるような社会経済システムの構築など、都市と人類が今後さらなる改善をすすめていく。

原爆と原発

上記リンク先資料のとおり、原発において、原爆のような核爆発は絶対に起こりません。

ただ、それだけだと納得できない方のために、資料をパラフレーズし、最低限の要点だけを記します。なお、詳細については、必ずリンク先をすべてお読みください。

1.原爆と原発との違い
まず、原爆と原発とは、構造的にまったく違う機構を持っています。

核爆弾は、その燃料が90%以上の高濃縮ウラン235や金属プルトニウムであり、それらの核燃料が金属容器内にいれられている。そして爆弾点火時に瞬間的に摂氏100万度の高温高圧の気体状態をつくりだして、衝撃波と閃光を放つ。

原発では、燃料で使われるウラン235の濃縮率は3〜5%にすぎず、また燃料棒の被覆管の厚さはおよそ0.6mm。このような機構では、連鎖反応が進んだとしても、核燃料が気化する前に燃料棒は溶解する(メルトダウン=炉心溶融)のであって、核爆発にはならない。

2.チェルノブイリ、スリーマイル、福島の各事故の違い

スリーマイル事故では炉心溶融が起きて、燃料棒と格納容器が破損したが、冷却により事態は終息した。

チェルノブイリ事故の場合はメルトダウンは起きていない。爆発したが、これは核反応と併発した水素爆発による。この核反応とは、核分裂連鎖反応のコントロールに失敗して発生した「核暴走」である。

 それに対して、今回の福島事故は、スリーマイル事故と同様の「冷却剤喪失事故」である。

 チェルノブイリ事故の場合は、制御棒のほとんどが抜かれており、炉のなかの核分裂連鎖反応を止めることができなかった。
 
 今回の福島事故では、すでに制御棒が入り、核分裂連鎖反応は止まっている。
 しかし、核分裂で生じた放射性同位元素が燃料棒にあるので、その崩壊熱で温度が上昇するから、冷却する必要がある。

またチェルノブイリ原発の炉は、「黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉」であり、スリーマイルは「加圧水型原子炉」、福島は「沸騰水型原子炉」であり、それぞれ機構が異なる(詳細はそれぞれウィキペディアの該当項目)。なお、、Josef Oehmen博士によれば、「もし炉心が溶融し圧力容器が爆発(最終的には融ける)したとしても、コアキャッチャが溶け出した燃料や他のすべてのものを捕え、核燃料が散開することで冷却される」(リンク先の解説を参照 http://bit.ly/eQQ3e8)。

3.最悪のシナリオ
最悪のシナリオとして、格納容器破損による放射性物質の大気中への放出という事態がある。チェルノブイリをここであらためて参照する。チェルノブイリ事故において、炉が破壊されると、炉心内部の放射性物質が推定10t大気中に放出され、北半球全域に広がった。事故直後の健康被害は、放射性ヨウ素によるものだった。このヨウ素半減期が8日。被曝者は、そのヨウ素の混入した牛乳などの食物を摂取したことで、内部被爆した。
 かりに放射性物質が大気に放出された場合、屋内退避をし、呼吸によって大気中の放射性物質を摂取しないためにマスクや濡れたタオルでそれを防いだり、また放射性物質を含んだ雨や雪にかからないようにする。ただし、外部被曝は除染によって除去できる。
 チェルノブイリ事故の際、ソ連政府は30km以上離れた地域に避難させた。
 現在、日本政府は半径20km以上の地域に住民を避難させている。
 30kmまで拡大(3/15,am11:30)。

=========<参考資料>
東京大学理学系研究科の早野龍五教授による原発関連の情報まとめ
http://bit.ly/hcDmBP
・MIT技術者Josef Oehmen博士による解説。http://bit.ly/eQQ3e8
・高田純教授による資料
http://www.iryokagaku.co.jp/frame/03-honwosagasu/389/389-01.pdf
・高田純『核爆発災害』中公新書1895
京都大学原子炉研究所今中哲二教授「チェルノブイリ原発事故」
 http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/kek07-1.pdf
放射線医学研究所 http://www.nirs.go.jp/information/info.php?i3
肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威 』ちくま新書
ウィキペディア