憲法論議は古代法よりはじめるべし

イギリスには憲法がない。
つまり、成文化された憲法典がない。

イギリスは憲法の祖国ともいわれるが、名誉革命の王制復古によって古代法遵守が選ばれたためだそうです。また政治体制として憲法の精神を体現させたから成文化する必要もなかったとも。イギリス法は判例法(コモンロー)が基盤であり、ほかに制定法や慣習法があり、そのなかで権利や自由の理念が規定されている。だからというか何というか、1215年のマグナ・カルタは現行法。

また、「国民主権」でもなく、「国会主権」。議会による法が最高法で、議会はいわゆる憲法に制限されない。しかも、実際の主権者は女王であり、王は法外の存在。このような国王主権と議会主権が矛盾しなかったのは300年間、王が主権を発動して議会を妨害しなかった慣例法によるという。

いわゆる憲法が成文化されるようになったのは、アメリカ革命、フランス革命以降の慣習。

イギリス法から日本の昨今の憲法改正論議を振り返ってみると、それがしはこう思う。
敗戦後の占領憲法か、いや明治帝国憲法だ、とかいう議論は、著しく近視眼的で、それゆえ議論がつまらない。なんでつまらないかといえば、議論が明治以降の近代日本に限定されているからだ。ここは大陸法的な思考から離れて、イギリス法をモデルにした方が日本にとってはしっくりくるんじゃないか。

ということで、604年に制定された十七条憲法は史上最古の成文憲法なり。

十七条憲法一条は「和をもって貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ」「上やわらぎ、下睦びて、事をあげつらうにかなうときは、すなわち事理おのずから通ず」。格調高く、かつ教理でもなく、和を理念とし、議論の本体に関するきわめて具体的な法理念の条文である。いまの憲法論議がぱっとせず、議論の本体を獲得できていないのはこの一条がないためか?

ほか十七条憲法にはこんなものがある。
・法理の遵守(2-3条)
・「群卿百寮、礼をもってもととせよ」という礼法(4条)
・官僚における賄賂等の禁止・公正な裁判の実施(5条)
・仁義の重要性(6条)
・各人が職務を全うすること(7-8条,13条)
・「信は義のもとなり。ことごとに信あれ。善悪成敗はかならず信にあり」(9条)
言論の自由と各人の差異の尊重(10条)
・適正な賞罰と評価(11条)
・無法な税徴収の禁止(12条)
・官僚は嫉妬せずに賢者たるべし(14条)
・不和の原因たる私心を捨て公務に就くこと(15条)
・適正な時期を考慮すること(16条)
・独断せずに必ず多くのひとと議論し、重大な決定は熟議する(17条)

現在でも、そのままの条文として使えるものもあり、文体の格は現行の日本憲法と桁違いである。

イギリス法に見倣い、日本現行法に十七条憲法を再制定するといい。判例法として制定しても、問題は法の適用の瞬間になるので、いまの憲法を議論することなく、すんなり付加するだけ。律令は刑法・社会法なのでちとむずかしいが。