マルロー

ゴダールがマルローが大好きで、以前よりなんとなく気になっていた。ウィキペディアによれば、
アンドレ・マルローAndre Malraux(1901-1976)。1901年11月3日生。
両親は子供のころに離婚、パリ近郊のボンディで母親と祖母に育てられた。父は1930年に自殺。
東洋語学校に入学、卒業せず。ダンディー1921年クララ・ゴルドシュミットと結婚。1923年妻の財産を株式投資につぎ込んだところ、株価暴落によって破産。
同年妻とともにカンボジアに出かけ、バンタイ・スレイ寺院でレリーフを盗んだとしてルイ・シュヴァッソンとともにプノンペンで逮捕された。禁固3年の判決。署名嘆願運動により帰国。
彼はインドシナにおけるフランス植民地当局に批判的で、1925年には再びインドシナに赴きヤング・アンナン同盟設立に助力し、新聞「鎖に繋がれたインドシナ」を創刊。ラオス考古調査旅行。1927年中国国民党とも関係をもった。
1926年に最初の小説『西洋の誘惑』。1928年『征服者たち』、1930年にはカンボジアでの事件を基にした『王道』。王道 (講談社文芸文庫)
1934年には上海における共産主義政権の崩壊を描いた『人間の条件』。1933年ゴンクール賞。1930年代、イランやアフガニスタン考古学調査参加。アラゴンと文化防衛のための国際作家同盟設立。

1936年スペイン内乱が起こると義勇兵として共和国派に参加。空軍パイロットとしてマドリッド攻防戦で二度負傷した。共和国軍の資金募集のために米国、カナダ旅行も行い、この経験をもとに1938年『希望』を出版した。
1939年フランス軍入軍、戦車部隊で勤務。1940年捕虜となり、脱走後レジスタンス運動。1944年ゲシュタポに逮捕され、危うく処刑されるとことだったが、レジスタンスのメンバーに救出された。アルザス・ロレーヌ旅団司令官となり、ストラスブール防衛戦やシュトットガルト攻略戦に参加。

1945年8月シャルル・ドゴール将軍に出会う。フランス臨時政府情報相。1947年ドゴールが創設したフランス国民連合に参加、広報担当。ドゴールが下野していた1950年代、『芸術の心理』『空想美術館』発表。1958年ドゴール政権の情報相。文化相在任(1960-69)。1965年訪中して毛沢東と会見。1974年日本訪問。
1976年11月23日死去。 アンドレ・マルロー戯画(ディアブル)展



ダンディー、株、仏領インドシナ、考古学、スペイン内乱、レジスタンス、文化相。この生のエネルギー。

◎マルロー「ゴヤ論」新潮社、竹本忠雄訳より。フランス革命同時代人であったゴヤラクロ、サン=ジュストの三人は、ルター以来、人間に対する最も深い問いを発した。「黒い三角形」。サチュルヌ、「われわれの奴隷的緊縛の起源」。「ゴヤは、神にむかって模索するのではない。救いなき、前存在的サクレ=聖性にむかって、永遠なるサチュルヌにむかって、手探るのである」
ゴヤにつきまとうサクレは、その否定的性格によってわれわれを打つ。すなわち、それを透かして星の瞬きの窺いみられる黒ガラス的否定性。」
 このゴヤ論が発表された1950年、マルローは、エジプトにおいて、「サクレ思想」と邂逅している。
1947-50、「芸術心理学」のち、「沈黙の声」として改訂。邦訳「東西美術論」。
「沈黙の声」最終編は、「絶対の貨幣」。これが、ゴダール「映画史」で引用していたものだ。
バタイユ、「闘牛鑑」のミシェル・レリスとの近似。
ボードレール「美の猟奇curiosites esthetiques」において、ゴヤは「とらえがたきものへの愛」として描かれる。…もしこのような愛を失ったら、ひとはその哀れな自我、「引き裂かれた線」をどうしたらいいのだろうか?la brisure引裂線。
マルローにおける「持続するもの」と「引き裂かれたもの」とのアンチノミー
破折したcasse、引き裂かれたbrise…
「オラント礼拝堂の、厳粛にして引き裂かれたひとがたは、サクレの影を呼ぶ。かかる悲劇的なものはアラベスクを知らない」
アラベスクは引き裂かれる。肉の断末魔を貫いて、不幸と血の世界が繰り返し顕現するたびごとに」

マルローのアンチノミー

1.テーゼ:

アジア由来のアラベスクと結合したギリシア以後のle divin神性感情/聖なるものは、「人間の自己信頼」の表現として、西方キリスト教に発達する。それは、メロヴィングカロリング両王朝の装飾的カリグラフィーを経て、ジョットの衣服の丸襞に入り込み、長曲線化し、「人間と神性との融和」すなわち「サクレとの乖離」を示しながら、ルネサンスバロック、そしてロココの裸体曲線へといたる。

2.アンチテーゼ:

ギリシアにおいて神性感情にとって代られた「サクレ」の感覚は、カタコンベの「アラベスクの引き裂き」による悲劇的線のなかにふたたび濃密化し、ビザンチン、ロマネスクの聖芸術に変貌復活したのち、ジョットの衣服の丸襞に代表されるゴシックの機械的線のなかに吸収されて消滅する。

→ロマネスク芸術をもって消滅した「サクレ」はこの後、個別の作家の精神的方向性となって、再現していく。

ラファエロよりはミケランジョロ、ティツィアーノよりはティントレット、ベラスケスよりはグレコアラベスクの破壊者たちの断続的系列。
 
レンブラント:「アラベスクの半破壊者」。「非現実的なものl'irreel」の最たる画家(「神々の変貌」第二巻)

ゴヤ:人間が神と和解せず、イタリア的スティルに対して、髪と剣と血をもって戦ったスペインバロックの伝統を踏まえ、同時代のフラゴナールの裸体画アラベスクを粉砕する画家。

「この黒は、悪霊の黄金である」