{days]賀正/坩堝

あけおめことよろ。
小屋を「海」(by a)に変えたあと、yさんと芝増上
寺、東京タワーw けっこうすごいひと。おみくじ
は吉大勢運とあり、ときくれば枯木とみえしやまか
げのさくらも花のさきにおいつつ、とある。甘酒う
ま。食材を買って朝帰宅。
 弟にsweetest music:this side of heaven,ノアルイスマーロンタイツ監修のコンピcd。ハワイアンを思わせるギター。たしかにsweetest 。
 キューブリックの「シャイニング」を見る。もう十数回見ているが、今回は、そのひどさに耐えつつ、いかにして救うかとかいうことばかり考えながら見た。映画史に残る古典的失敗作。でも好きは好きであるし、まただれかがこのようなことをやらなくてはならない(のではないか)。オーヴァールックホテルおよびデンバーランドスケープなどの光景描写は、「アイズワイドシャット」の冒頭のダンスパーティの光の嵐と同様、これだけは実にすばらしい。プロットというか人物配置も微妙。とりわけ料理主任は雪上車を持ってくるだけためだけに殺される。まあギャグとしては面白い。この料理主任が殺されたあと、妻を襲う幻想シーンのひとつに、ロビーでゾンビが座っているシーンがあったはずなのだが、カットされていた。あのシーンも相当ギャグでその挿入の仕方はあんまりといえばあんまりだったがゆえ、印象的ではあったのだがw バルトーク、ペンデレツキ、リゲティの使い方は最悪。演技も悲惨。ジャック・ニコルソンマニエリスム=技巧主義も浮ついている。グリフィスの「散り行く花broken blossoms」の暴力親父のヴァリエーションであり、また表情イメージの固定性=絵画性は、サイレント時代のマイム的な身振り演技を模倣しているのであろうが、愛が足りない。デヴィッド・リンチの愛もフェティッシュであるが、リンチの愛はなにより音楽への愛に満ち貫かれているがゆえ、結果、すべてが正しくなっている。このプラトニズム的な音楽神話も考えなおさなくてはならない。
 テレビで「連獅子」。マイセン磁器の歴史。中国、朝鮮、古伊万里。マイセンで磁器が再現模倣されるまでには、ヨーロッパには磁器はなかったのだろうか。他文化摂取による混交沸騰=「坩堝理論」と近代?