days  小ファシズムと神聖権力

うひゃー、かなり長く書いた文を久々にミスで消してしまった。いやいや以前はずいぶんこれでがっくりきてたもんだった。
 もう書く気がおきないので、タイトルだけ保存しておこう。

簡単に振り返ると、イタリア自販機ないなあ、タバコ4ユーロで600円くらいして高いなあ。空港全面禁煙だったけど、街ではみながんがん吸ってたから、そのギャップもやがて埋まるだろうとか。
 で日本の分煙化はまあいいといえばいいなと。で、禁煙ファシズムってのは、むしろ江戸とか秀吉による支配技術にそまった自警団的モラルの伝統をひくもので、いわば日本の「国民文化」としての小ファシズムの一種ではないかと。
 で、この小ファシズムは粘着質で押し付けがましく、暴力を平気でふるってくるが、ネタはなんでもいい。連中はタバコだろうがエロ本だろうがなんでも「風紀」に「違反」するものはダメ!といいたいだけ。法や「お上」の権威を笠におのれを防御して、権威に準じないものに暴力的に圧力を加えることで優越感なり快楽を得ている小サディストっつーだけのこと。だから、はやく死ねよって感じなのだが、なかなか歴史による厚みはしぶとい。
 それで、この小ファシズムこそが日本の小帝国主義を支持したし、またラカン的な意味での「知的障害者」であった小泉前首相の「上演=パフォーマンス」に喜んだ連中でもあった。(ラカン的「知的障害者」という表現についてはルディネスコの「ラカン伝」を参照してください。これはいわゆる知的障害者として名付けられているひとびとを差別する目的で表現したものではありません。)
 でこの「お上」はまた同じ発音の「神」ともだぶる。つまり権力は神聖で侵すべからざるもので、見えないものと日本では観念されている。それゆえそ権威に反逆したり抵抗したりするものには過剰なまでに圧力が加えられる。
 このへんはもうとうのむかしに売却してしまった丸山真男の「忠誠と反逆」でも読みたいところだし、またヴェーバーの「支配の社会学」においてのカリスマ的支配とか伝統的支配とかも読みたいところだが、ちょっとめんどいなと。
 
 それで昨晩はハイナー・ミュラーの「モムゼンのブロック」をぱらぱらと読んだ。Nさんが反知性主義になる前の紹介文つき。

 で、ローマをようやく押さえる気になったので、とりあえず読みやすいポール・ヴェーヌの「歴史と日常」を読み始める。かなり危険かつ誠実なことも書いてあり、偽善者やせっかちなリゴリストにはとても読める代物ではない。でもたしかにローマ史をやると、人間の幅のほぼすべてを網羅できるのだろうな。