「政治的圧力」

以下、韓国順天市でのアジアトライ公演阻止事件についてのペンギンさんの問い合わせに対する応答です。初めて新幹線のなかより書き込みます。

どもども。帰国しました。みなさん、「政治的圧力」気になっているみたいですね(笑)。
まあ、いわゆる「国家権力」が直接発動したというわけではないのですが、少なくとも大学も劇場も自治体の所轄部もそれに加担し補完したのは事実なようなので、まったくひどい話しです。圧力をかけてきた主体は、なんとか舞踊協会だとか主催者より年長者の主に舞踊教職員の集団なようです。

 やり方はデモしたりなかなか大げさにやってたそうで、しかも、アジアトライ側が劇場を数日予約していたにも関わらず、その前後一ヶ月をまるまる借り切るということまでやらかしたそうです。
おかしいのは劇場で、先約であったわれわれを差し置いたということは、完全に契約違反です。
が、韓国の民法ではどうなっているか知りません。
 裁判に持ち込めば、損害賠償など請求できるし、その他いろいろの名目で闘争できるのですが、それをやると、招聘してくれた韓国側主催者が職を奪われるかもしれない、という。
 まあ、さすがに日本でもそういう圧力=潰しはあるといえ、そのやり方をするか?みたいな、ね。まあ、いまでも「業界内政治」のようなミクロ政治の次元では、結局同じ事態がありますがね。感嘆するのは、よくそこまで費用かけて「阻止」するなあと。たいそうなことです。順天(スンチョン)周辺の舞踊関係者のみなさん。
 
 理由はいくつもあるのでしょうし、そのうちの断片しか聞いていないので、これは憶測ですが、
まずは主催の方がまだ若いということ、年功序列が日本よりも厳しいといわれる韓国社会において、これはかなりのハンディであり、彼女が重要無形文化財であろうが大学の先生であろうが、とにかく、「年少」なのだから(笑)、生意気だという。ま、それよりも私なぞが憶測するに、抑圧をかけてきた連中のなかには、「日帝」+イスラム原理主義を囲う国を「招聘」なんてするわけにはいかない!と考えたひともあっただろう。しつこくこれは憶測ですが、どうにもそのあたりが真相のようだしで。しつこく、これは憶測ですがね。圧力の全貌も結局まだ分からないのです。ミャンマーの弾圧と比べるのもなんだけど、どこであれ古典的権力は行使されつづけているし、実質的には進行していると思われる世界の多数化に対して、ヒステリックに同一化を唱える連中というのは、崇高趣味であれシニシストであれ、意匠が異なるだけで、同じ人種ですね。日本の場合は、とりわけ「シニカル理性」によるヒステリックな同一化のシュプレヒコールが五月蠅いですが。
 あ、自身のネオコン保守に気づいてもいない、おめでたいひとたちの誤解をあらかじめ避けるならば、公演を阻止した連中の「デモ」は「抵抗」ではまったくなく、韓国の民族主義は彼の国の多数派の見解なので(周知のように先日の旧親日派の財産没収とかが思い起こされる)つまりは多数派の力に乗っかったものであり、それゆえそれは「権力」といえる。

 いまちょうどペンギンさんの嫌いなネグリを読んでいて、そのなかでポストモダニズムが抵抗という契機を周辺部におしやったことを批判していて、結局、ポモ的な政治批判が現状追認以外のなにももたらさなかったこと、それどころか、むしろ、権力構造の補完をしていたということを指摘していました。なんにせよ露骨な権力は無論バリバリの現役で機能しているわけで、それへの抵抗を新たに中心へと置き直さなくてはならないとあって、この二三年考えてきたこととぴしゃりと当りました。まあネグリの「内在性」の戦略というのが、デカルト以来の「近代的コギト」における「内在主義」や、ポモ的内在主義とどんだけ違うことになるのか、まだ不明、というか、懸念がありますが。このへんの事態をひとことでいうと、「抵抗なんて、ダサイ」というやつらが、バブルあるいはハートカクテル的80年代美学をひきずってて、私からすればそちらの方こそ耐えがたくダサいという、しょうもない趣味戦争みたいなところに落ち着きますが(笑)。
はあ、永久に闘争は続く。