私の生のはじまり

この日、私は生まれた。オギャーと泣いたかどうかはまだ親に聞いていない。
 佐世保で三代続いた女系の脇川家に、ようやく男児が授かったということで、ものすごく喜ばれるが、同時にものすごく期待され、後にその重みに応えられなくなり、抵抗と反逆を始め青雲学園を放校されたが最後、なにも自分だけが原因ではないが、人生は転落するばかりだった。
 和光大学人文学部人間関係学科に入学し、人文社会に関する百科全書的な猛勉強をするも、直接的にはお家騒動による抑圧により、破綻。
先生たちにも申し訳ない気持ちでいっぱいですが、学恩はいまもしかと生き、研究は続けています。
 お家騒動については、家族復興に勤しむことで、家族と自分とを、とりあえずは救済し安定するも、これからも運転をしなくてはならない。
 都丸書店、土方、歌舞伎座その他各種遍歴を経て、die pratzeのスタッフとなり、現在はイマージュオペラを主宰し、舞踊家振付家およびプロデューサー見習いとして茫洋と活動中。また、現在NPO法人設立に向けて構想中の企画を固めている。
 哲学・歴史学・比較社会学・人類学をはじめ、文化と社会および諸芸術全般に関する探求とナニゴトカの創造を、興味を殺すことなく、死ぬまで続けていければ、幸福であろうと考えるものの、世の中そんなに甘くないことも、すでに重々承知している。
 現在とりわけ関心あるテーマは、
ナショナリズム
ファシズム
・アジアとグローバリゼーション
・近代性とコロニアリズム
・舞踊創作(脱領域的な実践美学としての)
・およびこれらに付随する諸問題
など。
 

(2007,6,7記)