歴史はつくられる

明日月曜日は折り込みと稽古。折り込みについては、これをバイトとして考えよう。経済原則は私のへんなモラルである。それは経済合理性に則るということだ。これはいやがられることもあるが、それは私がリアリズムに則って発言することへの嫌悪感と同型である。ひとはリアリズムを嫌う。むろんここでいうリアリズムとは、様式美学的な意味ではない。現実のレベルとでもいうべきか、たとえば経済格差は、社会的現実として実在する。それは統計学的にも、社会経済学的にも立証されることだ。だれが言い出したかは知らないが、それを階級というカテゴリーで考えることができる。おそらくはマルクス以前にすでに語法としては流通されていたはずだ。階級の概念史とかいうことも構想していた。前ー階級概念に、身分がある。メイン(たしかヘンリー・メイン)だったと思うが、身分から階級へと法学的視点から論じていた。このあたりの問題も、何年もほったらかしにしていたものだ。誰にむけて階級の実在を説けばいいのか、そしてそれを発話すると必ず、じゃあお前の階級はどうなんだと来る。あほくさすぎて、相手をするのも飽きて、そうして私は別の問題に巻き込まれるなか、そのことを考えることをしなくなっていった。それでもそういう話しになったときには、つねにその問題を断定的に論じていた。社会問題を論ずるとなると、よく社会のせいにするのはやめろといわれてきた。だれも責任問題を論じているわけでもないのだが、ここで認めるべきは、おそらく国家のようには社会はその実在を認知されていないのだ。世間論とかあったな。
 いまは押さえていないが社会学でも階級社会論や、不平等社会論の視点から日本社会が分析されているようだ。しかし、こと話題が社会のことになると、さまざまなイデオロギーに出くわすものだ。そうしてそうしたひとたちがマジョリティなものだから、諸問題は解決されないまま、時代は進んでいる。
 リアリズムの話しだった。たしかにリアリズムにはある種、暴露趣味的なものがある。それがいかに醜悪な形態を提示するかも知ってはいるが、私はできるかぎり正確に「真実」に近接したいだけなのだ。パゾリーニや、ペドロ・コスタブニュエルも未見だが「忘れられた人々」という記録を残している。記録映画、記録文学の領域の話しである。あるいは社会を記述するということ。また以前の問題意識が現れた。
 それで、ひとは見たくないものを見たくないわけだ。リアリズムへの嫌悪感がどこに由来するかはもっと分析する必要がある。自己意識のファンタジーなど。
 では、経済合理性への嫌悪感とは?それはことが舞台芸術に関わっているからだ。
それが昨日書きはじめたことだ。つまり、芸術至上主義からすれば、経済原則あるいは経済合理性は、「不純」「悪徳」とされる。
 経済合理性は、たとえば通常の労働の場合、当然だが好ましいものである。コスト削減なりなんなり。
 私が経済合理性をモラルとして持っているというとき、たしかに理念的な意味での資本主義者であるだろう。大塚久雄ウェーバーのロビンソンクルーソーである。つまり近代資本主義の原型としての。
 それで、私は経済合理性に則っていたはずだったのがそれが果たせなかった。ではなぜ私は失敗したのだろうか。私は合理主義の一方で、別の原理主義も持っていた。その原理主義とは、ある理念体系への関与である。それは道徳とは区別される倫理というべき領域への関与ということだ。こうあるべしという当為。私のなかでその当為感覚はねづよい。ある確信がどこかであったのだ。ポール・ウィルスが「ハマータウンの野郎ども」で分析していたような不良少年の「洞察」といっていい種のもの。
 結局、私は、合理主義と、理念主義とのあいだでながく分裂していたのだろう。
 起源のひとつに手塚治虫の影響がある。父の教育もあり、私は小学校のころ手塚治虫全集をすべて持っていて、その著作のほぼすべてを読んでいた。好きな作品はいくつもあるが、とりわけブラック・ジャック火の鳥は別格である。中学、高校で手塚作品を読むことはほとんどなかった。上京後、いまも彼女である綾原がその文庫版を読み出したとき、再読した。驚いた。自分の行動、人生への態度、などなど、ことごとくそのなかに描かれてあった。私は意識しないまま、BJの思想行動を理念として選択していた。
 むろん手塚先生だけに還元されるわけでもないが、私の理念は教育されたものだった。つまり、父の教育である。理念的な意味での左翼。
 また、火の鳥のとりわけ鳳凰編は何十回も読んだ本であるが、それは私を奈良にはまらせる原因でもあった。
 しかし遡及分析をここで終わらせると、手塚先生万歳、戦後民主主義万歳で終わる。
それが危険なのだ。遡及分析はそうしたことで終わりがちである。
 回想の陥穽。時間のベクトルを変える必要がある。時間の前衛へ。それは未来を幻視し、志向するということだ。いままで私はレトロスペクテイヴに偏向していた。
 そろそろこの十年の絡まりもほどけてきている。
 そうだ、歴史はつくられるものでもあった。