カッチャー/メルヴィル
渋谷タワレコで、ベン・カッチャー「ジュリアス・クニップル、街を行く」(julius kniple,real estate photographer:the beauty supply ditrict)
melvilleのtales,poems,and other writings
bartleby,the scrivenerも入ってるし、むちゃくちゃお買得。といってもアメリカ人にとっては普通のことか。日本人が日本の作家の本を安く変えるのと同じか。でも、日本は、文庫はすばらしいものの、いまだペーパバックみたいな形式にならない。文庫がすばらしいといったものの、文庫は文庫で量が結構、かさばる。一冊に綴じるというのは、かつて日本文学体系とかなんとかの、いまでは古本屋で100円で売ってあるようなものくらいか?つまりある一時期そうした編集も流行ったのだが、結局、文庫と新書が勝利した。それはおそらく電車通勤という生活形式が関係しているだろう。それだけではなく、「縮み志向」か。たしかに小さく折り畳まれるものを好むのはある。でもまあ、日本文化特殊論はもはやいらない。そんな特殊性に頼らずとも、世界市民には十分なれる潜在性はある。というか、そんなことを論じているひまはないはずなのだ。
英語もずいぶん読んでいなかったが、日記のおかげで、ゲルナーの市民社会論を再び繙きはじめた。以前の感覚がすこしずつ蘇ってきている。回復してきているのだろうか。
そのことを考えると、精神にはやはり均衡状態というのはあるし、どうだか分からないがその意味では、心理への経済学的接近もあながち間違っていないような気もする。
フロイトの難解な「快感原則の彼岸」もそのことから始まっている。