光線について

商業行為と芸術創作との問題について、ていねいに考えていきたいが、ちょっといまはそれに集中できない。
 本番まであと2週間である。あいかわらずDMを出し損ねたままだ。これから送ることになるが、どうせ来ないし、とか考えると、うんざりしてくる。来てくれるひとはもちろん、神様みたいとかいうとあれか、南はるお?だったか、ああなるな。いや、でも本当に来てくれるひとは、特別ではある。来てくれなくても、ちゃんと返事くれるひとはほんとうに敬服する。だが、返事もないひととかいうひとはどうすればいいか、なんて、そんなことは放っておくくらいのことしかできないが、舞台の社会的機能ということを考えると、むしろ舞台に興味を持ってないひとに見てもらいたいと思う。これはみんないうことではある。そして、そういうと、舞台は、おしつけがましい商業主義みたいに受け取られることになる。好きでやってんでしょ、だ。
 媒体から考えると、その点、活字はいい。書物やレコードはたしかに静かである。映画も、ヴィデオがあるから、同様だ。複製技術を使用するものかそうでないかで、今日、とくに日本は、はっきりと分断線がひかれている。ひかれすぎなのだが。
 ドイツにいって驚いたのは、街に広告がほとんどないことだった。そしてあるのは、美術館と舞台のポスターだ。信号機とかのポールに貼ってあった。タクシーから、つまり車からよく目に入った。ドイツの機能主義とでもいいか、街の景観は、たいそう日本とは異なる。帰国すると、日本がいかにアジア的かより分かった。なんというか、街が過剰なんだ。どこの街にいっても、べたべたと広告があり、さまざまな種類があるわけだが、あれはある種の西洋人にとってはとても魅力的に映るらしい、とある西洋人がいっていた。たしかにむかし子供の頃、香港に行ったが、たしかに香港の街の魅力というのはあった。リドリー・スコットブレードランナーに描かれる近未来の意匠にもあのようなアジア/チャイナタウンが効果的に使用されていた。効果的に、というところはもっと展開する必要があるが、とにかくあの映画はSF映画の傑作であるには違いないし、小学生のころあのような社会に自分はいずれ行くのだろうと考えていたものだ。
 あの効果、オリエンタリズムの一変種である。西洋人にとっての「外国性」。雨が印象的だった。そういえばブラックレインでも雨のシーンがあったな。そうか、スコットにとっては雨は基本モチーフなんだな。雨といえば、「この懐かしき蒸気」だ。レインソング。雨の帳。
 金の雨。イワン雷帝ジジェクに指摘されて、そうか、いや自分も金色の雨というのはずっと固着イマージとしてあったことにあらためて気付かされた。「蒸気」のなかで、ラモーを使用したが、あのクラブサンこそ、金の雨だったのだ。はじめてきいた時から、その印象が拭えない。金の雨、それは太陽光線でもある。秋の奈良を散歩していて、金色に輝く枯れた稲束を見たとき、おもわずスケッチしたが、たしかにあのような光景に、恩寵を感じることはある。いつだったか、九州のおそらくは佐賀か福岡のどこかの田園の光景のときは、さらに光りが垂直的に差し込んでいて、車を止め、その荘厳さに、興奮していた。いつからか知らないが、そのようなドイツロマン主義的感性は強く自分のなかにある。光りについて、強く意識しだしたのは、青雲を中退してからのことだ。それまでは光りがなんたるか、知らなかった。ずっと曇っていたのだろうか。
 物心ついてからずっと光景はメランコリックなものだった。光りに感動した記憶はいまは出て来ない。福岡の赤坂から福岡城を通り、通学していたある朝に、花が、目に入った。花なんて、それまでなんの興味もなかった。いまでもそんなに興味はないのだが、あの名も知れぬ花に、ぼくはおそらくはじめて光りと色とのヴィヴィッドな関係というのを見た。そうとでもいうしかないような、ある特別な体験だった。それから徐々に、光りを意識するようになった。つづく。