イデア
仕込み。書くべきことは膨大にある。しかし、照明のシュートと直しのあとで、今回はなかなか面白くなりそうであることが分かった。だが、まだだ。
静岡からわざわざキャサリンが来てくれた。真島さん、ベンさん、安生さん、日高くんたちにはわがままさせてもらって申し訳なかった、でも、仕方なかった。
内野さんが来てくれた。3/1くらい観てもらった。面白いよといってもらえた。
洗足池の佐藤社長が、たまたま通りすがりに寄ってくれた。
こうした「偶然」は、好運と祝福のしるしであるように感じる。
たいへん、感動的である。
結局、こうして、舞台は、ひとと出会うパサージュ/街路であり、それが魅了される理由である。
社会において、ひとはなかなか出会いはないものだ。これも説明する必要がある。経済的利害を超えた、というかゲゼルシャフトを超えた、というか、二日前、ブランショの「明かしえぬ共同体」をまた読み返していたが、そう、舞台は、共同性とはなんであるかを考える格好の「舞台」である。
朝、ゴッホの画集を眺めながら、横浜へ向かった。
ゴッホのその画集とも、たまたま手に取った。
「現実」?の再現でなく、理念=イデアの表現としての。
主題を主題としてでなく、あるイデアとして考える。
理念化。イデアリゼーションとでもいうのだろうか。
今日はいつもながら綾原にずいぶん助けられた。
高ぶるはずの感情システムも、いまはおとなしい。
みなさま、ほんとうにありがとうございます。
明日、失敗しても、もういいや。とかそういうことはいわない方がいいか。