STORIA NOTTURNA

●ドライヤー「ヴァンパイヤ」「怒りの日」「裁かるるジャンヌ」「奇蹟」
睡眠不足と疲労で、へろへろ。ヴァンパイヤがすごかった。ピラネージ的な階段、エクソシストのオリジナルのような顔、…エレベーター…
「怒りの日」の嵐、「悪魔」、魔女狩り
「奇蹟」の白い部屋

本棚、ざっと整理。実家に送っても、棚を新たに買わないといけないほどの量が出てしまった。半分は売却しなくてはならないだろう…

●イェーツ「ヴィジョン」北星堂書店に、パウンドに宛てた文集所収。
●ボヌフォア「現前とイマージュ」朝日出版社より:

「詩人の債務とは、リルケがいったように、開かれたものを打ち立て直すことであって、必然的に、自らの発話行為を閉ざしてしまうものについての思索たらざるをえない」54

●「アナール論文選1 魔女とシャリヴァリ」新評論。懐かしい本があった。
ピエール・ショニュ「17cにおける魔術使いの終焉」
ミュシャンブレ「16cにおける魔術、民衆文化、キリスト教
トムスン「ラフミュージック」
ゴヴァール/ゴカルプ「中世末期のシャリヴァリ」
ムルディク「ブルジョワの言説と民衆の慣習」

1982年に出版。このシリーズ、学生のころ、古本屋でよく眼にした。
92年のころか。あれから13年。おじいちゃん的回想。
あの本を手にしたとき、その本の周りを、「未来」が回っていた。
いまはもうそういう感覚はない。
ただ、この本を入手したときは、まだ家が破壊される前だった。だから、よけい、青春の無垢を感じる。たった二年の幸福な無垢な時代。

●ドライヤーに教唆され、魔女狩り。ギンズブルグの異端審問史。「闇の歴史」
この本、EINAUDI社から出ていた。
yさん、あのときサインもらっていたが、たしかにぼくももらえばよかった。
まさか、いまもなおこうして、つながっているとは。
ヴィットリーニ

魔女狩りの話しを見知ると、キリスト教社会なんて、なにもナチと変わらないし、ナチが人類史的虐殺を行ったなんて、それはそうだが、ただ、ナチだけじゃない。カソリック社会はみんなやってきたことだ。その点で、なんの特殊性もない。ナチの特殊性は、おそらく、合理性に関するものだ。
異端カタリ派なんて、ほぼ全滅した…またあのへんやりたくなってきた。
マニ教
マニについては、パウンドもピサ詩編で、ムッソリーニと並列させていた。

○映画館に行く前、冷雨のなか、日本の相互監視システムについて、思う。
「自警団」
五人組の相互監視システム。
あれがまさに「世間体」という日本人の社会的身体を作った。
イギリスがベンサムパノプティコンなら、日本は、五人組。
あれはだれの発案だったのか。
しかし、ああいうのはほんとうに根強い。
あれと対決するのは、まず方法的に、個人主義を選択して、それから、
可能であれば、連帯を探るべきだろう。
しかし、連帯は、いかにも、むずかしい。