博多より東京へ

博多駅紀伊国屋書店で、Vittorini,Uomini e Noエリオ・ヴィットリーニ「人間と人間にあらざるものと」松籟社。1981,\1545(!)。

キャナルシティで待っている間と、飛行機のなかで読み出す。うるうる。しかし、ロレンスが好きだったとは。しかも翻訳してるらしい。ポー、サローヤンスタインベック、フォークナーなどを、ヴィットリーニは翻訳したようだ。
 1953年、文芸春秋新社、清水三郎治訳「シシリー島の憂鬱」、が、「シチリアでの対話」の訳であった。
 ヴィットリーニ、著作集、でないもんかな。
 全集/著作集関係で。
 ブレヒト著作集は再版希望。河出書房新社。とくに、ブレヒト政治社会論。
 パゾリーニ著作集。夢。
 
 全集は売れないのだろうし、最近は図書館も買わないとかで、これからはますます出版されなくなるだろうか。
 ズーアカンプとかミニュイ社のような、ハードカバーではない、ペーパーバック(?)方式だったら、出版しやすいのでは。
 でも、結局、文庫になるか。しかし文庫も、薄いのあればいいが、あんまりぶ厚く、しかも、内容が濃いものだと、読みにくい。
 人文書院だったかのサルトル全集がいいのだが、まんまフランスでいいのに、なんか結局、部数が伸びないとかで、ハードカバーになっちゃう。ハードカバーでも、3000円くらいまでならいいが、6000円とかなると。
 本は売れていないのか?
 かりに売れていないとして、だからといってくずみたいな本が出ることはないだろう。ベストセラーよりロングセラーとかの話しとかあるが、なんだろう、「古典」か?
しかし「教養主義」みたいなのはどうでもいい。博物学的視点よりの「古典」は?
 あーこのへんもまたあたまが痛くなってくるくらい、こみいっている。
 文化と社会。あるいは政治と文化。
 実践。
 つまるところ、どのような抵抗がありえるのか?
 どのような闘争が?
 往還しかない。
 coming and going

 「ブレヒト詩集」土曜美術社。重くないし、ついでに。
ブレヒト詩集 (世界現代詩文庫)

ブレヒト詩集 (世界現代詩文庫)

 ナボコフ「セバスチャン・ナイトの真実の生涯」講談社文芸文庫セバスチャン・ナイトの真実の生涯 (講談社文芸文庫)
まだ品切れではないだろうが、意外と見かけないので。こうした、数年前に出た文庫というのが、一度入手困難になると、もはやむりということになりがち。10年前とかの岩波文庫がそうだった。でもいまは岩波、あんまり品切れにしなくなったような気がする。
 悔しくも入手できないのが、シュミットの「パルチザンの理論」ちくま。
 
 それにしても、キャナルのなかのラーメンがひどくまずく、驚いた。8年前くらいはうまいと思っていた有名店I。甘過ぎ。舌が変わったんだとかではない。だって、鹿児島ののぼる屋はうまいわけだし、佐世保のれんこんはうまいし、名切のコッペのバタールはやばいぐらいうまいわけで、うまいものとまずいものとの座標軸と、味覚の地域差とは、たしかに折衝しあうこともあるといえ、美味の普遍性はあると思う。
 たんにあの支店がまずいのか?そうではないだろう。がんがん支店だすようになって、まずくなったというやつか。管理できなくなったというか。あるいは、色気出し過ぎて(器にこるとか)、本質を失ったということか。いずれにせよ、最悪であった。二度と食べないどころか、あそこの他の支店にすら行けなくなった。さようならである。
 
 文句ついでに、モノレールは高すぎる。だれが悪いかといえば、航空会社だ。モノレールの会社がどこかは知らないが、航空会社で買い取り、料金のなかに入れればいい。そして、チケットフリーにすればいい。
 混雑が解消されるとかいう前に、時間をとりすぎる。つまり、サービス業の視点より、時間の問題を本気で考えるべきだ。ちょこちょこしたところを変えたところで、焼け石に水。その意味では、JRのSUICAはたしかにいい。あれでだいぶん、改善された。
 文句ついでに、JR西日本佐世保から霧島神宮まで、チケットが片道、ひとり6枚!であった。これはない。1枚で十分だろう。資源のムダ使い、というか意味が分からない。ばかじゃないか?乗り換えるたびに、チケットが切れるなんて。料金はまとめて払ってるんだから(当たり前)、まとめて一枚にすればいいだけの話し。そういうことをなにも考えない。
 交通問題について、考えてみれば、ずっと文句いっている。本気で、調べるか?でも、結局、それって、スムーズになるだけで、資本主義万歳闘争だ。ということで、より本質的な問題の解明をやろう。資本主義とはなにか?