アメリカ!

kairiw2005-02-01

別に書くことなければ、書かなければいいのかもしれないが、もはや、ブログが日課、習慣化されてしまった。

ダム。ノートはどんどん増えつづける。
しかしダムの創作過程に参加してあらためて身に滲みいるのは、上演という結果よりも、それへと至る過程の醍醐味だ。
そういえば、オーソン・ウェルズが、「わたしは映画が好きなのではない、映画を作るのが好きなのだ」といっていた。@洗足池図書館でのリュミエール
 ウェルズの映画は大好きだ。で、ウェルズについてのデータはほとんど知らないのだが、アメリカ人と思われる。で、なにがいいたいかというと、ウェルズやパウンドもそうなのだが、「アメリカ人」であることと、「ヨーロッパ人」であることの微妙な差。いや、こういうと、分からない。アメリカ人なのに、妙にヨーロッパ的な香りを感じさせつつ、結局、やっぱりアメリカ人、みたいな。ヘンリ−・ジェイムズやエリオットにすら、なんとなく感じられる。なんだろう。
 まずは、アメリカが、ヨーロッパの「田舎」であるということか?20世紀前半まではそうだったろう。うーん、アメリカの文化史、というか、20世紀におけるアメリカ「文明」。すさまじいほどの量のデータがある、と思われる。
 100年後の20世紀アメリカ文化史やるひとは、ネタ探しで延々、一生を費やすんだろう。
 なんだろうか、なにか野蛮な(いい意味で)快活さがある。あの風土によるのか。
アメリカを支える理念=イデアはいくつかあるが、その独特の「自然」との関係、反歴史主義=いまを生きる的な現在主義…
パックス・アメリカーナ
パックス・ブリタニカパックス・ロマーナ…「文明」、か。

最近、アメリカに行きたくて、うずうずしている。金溜めて、今年中に、行こう。
この目で見ないと、いけない国、一番である。
ヨーロッパに惹かれたときは、あるいは左翼的な情動にひっぱられたときは、反米とか思っていた。しかし、前にも書いたが、アメリカこそ、私がもっとも関わってきた「文明」だ。母親みたいなものだ。マザーカルチャー?
 その後、否定しながらも、ときどき、戻り、ああと「同一化」してきたもんだ。「落ち着く」のである。
 私はニッポンに生まれたが、その育った町は、米軍基地の町であった。佐世保
したがって、ニッポンは、私にとって、「外国」のように感じて来たのだ。ニッポンの文化も、好きなところはあるのだが、どこに依拠しているかといえば、つまりマザーカルチャーはどこかといえば、ジャパンでなく、アメリカだ。この感覚あるいは、私の生を、確認したい。今年、行くことを、目標としよう。そうすれば、生活の不摂生も改まる、かもしれない。

立ち読みで。宇野邦一さんの新著に、土方巽公が、田中泯さんにいったことば。
「うまれたこと自体が、即興でしょう?なら、どうしてあなたは即興するのですか?」
すげー。さすが。泯さんがどう答えたかは、書いてなかった、たぶん。
 誕生の偶発性ね。水木しげる河童の三平」で、巨人の鬼がそういうことをいっていたなー。

薩摩焼酎「海童」、うまいなー。つい、書いてしまう。ごまのような、香りがたまらない。鹿児島いって、あと、その前に海上宏美さんの影響で、ぼくは日本酒党ではなく、焼酎党になってしまった。
海上さんと、ドイツでたまたま会って、かれの部屋に行くと、ペットボトルにいれた焼酎が出て来た(笑)。こんなこと書いていいのか?まあ、いいよね、愛嬌、愛嬌。海上さんの隠された(別に隠されてないか)生の秘密。あと、パジャマについてもしゃべったな(笑)。いやーパジャマって、いかにも語本来の「ブルジョワ」って感じがするんですよねー(笑)。)
 え?なんだったっけ?

ああ、アメリカ、即興としての生、焼酎か。

ああ、特に書くこともなかったのか。