70’s
リハーサル・メランコリア。
考えることができない。というか、考えてはいるのだろうが、突破できない。
ミュラーがモムゼンのブロックとか、書いていたことを思い出した。
障害になっていること、問題は、いくつもあり、それがどのような姿をしているかも見えている。
見えない障害だと、もっと、メランコリアは、ひどくなるのだが、現在はそうではない分、ましだ。
静かである。ある意味、クリアでもある。
MC5の馬鹿馬鹿しさに、はげまされることもなく、10代っていいなあと(笑)。
しかし、MC5、馬鹿だなー。おもしろいけど。MC5とくらべると、ザッパがどれだけ、知的か、分かる。
new york dollsも、ラモーンズも、イギー・ポップも、MC5にくらべると、まったく、馬鹿ではない。
MC5を超えるものは、いわゆるモンド系とか、マイナー歌謡曲とかを除いてあるだろうか。
クイーンの「play the game」のヴィデオクリップがある。あれはすごい。くらくらする。
天才といっていいだろう(笑)。
クイーンはむろん天才であるが、しかし音楽家としての天才とか、そういうレベルではないのだ、あのヴィデオは。フレディ・マーキュリーのパフォーマンス、パフォーマーとしてのフレディの、天才なのだ。
「save me」の鳩のアニメーションとか。
でも、考えてみれば、「バイシクル・レース」のヴィデオも…
とかいって、クイーンのこと考えだしたら、ぼろぼろあることに気付く。
クイーンは最高にかっこいい。ださかっこいい?キッチュ?なんなのだろうか、クイーンの素晴らしさは。
音楽はいうまでもないといえ、あの美的センス。
ザッパはクイーンにくらべると、洗練されているとa.
ザッパの天才と、クイーンの天才との比較。
ザッパに、「不可解さ」は、ない。うーん、なんなのだろうか。
クイーン、というか、フレディには、「外の思考」がある。やはり、ゾロアスター教徒ということで、西洋近代文明に距離をとっていたのか。
MC5の「勢い」。フレディのせつないまでの、なんだろう、「切迫感」?
a:ナイーブさ、素朴さ。あれだけのことをしておきながら、というか、ねえ、傷付きやすさが、ねえ。
偉大なるヴァルネラビリティ。
道化?そうかもしれない。a「音楽界最高のクラウン」
1970年代。1972,11,1.パウンドが死に、1975,11,2.パゾリーニが殺され、…フレディも、フーコーも、ばりばりだった時代。