Matthew Hodgart

DA・M通し。三人ヴァージョンはこれが最初で最後となる。明日には、香港勢が来る。nさん、美術のy,yさん、a、came. oさんたちが20年間のいきつけの居酒屋に行く。膨大な言語量あるいは発話量。
 酒が舌を回すのを手伝う。oさんが院卒だったとは。しかも社会学だったとは。
aが帰ってきてもすぐに風呂にはいらず、化粧を落とせといっても、いうことをきかず、そのままソファで朝までスリープコース。それが日課。しかし、きちゃな。とぼくは思う。

ホジャートの「諷刺の芸術」平凡社が、いざ読み出すと、非常にクリアで、良心的な(?)分析をしている。そうか、諷刺の起源は、呪い。そりゃ、そうなんだろうな。芸術とかいって、それはやはり呪術、魔術といった、「芸術」概念以前の、前史から見ていかないと、だめだーとかって、いまさらか。ホジャートさんは、人類学者のジャック・グッディの友人らしい。オックスフォード大学の「学究の倦怠」の像、面白い。というか、典型的にイギリスの諷刺画タッチで、イギリスの大学の奥深さを感じる。こんなのが校舎にくっついているなんて、やはり素敵だ。中野の哲学堂公園も、最高に楽しいのであるが、あれには、諷刺がない。シャカと孔子ソクラテスとカント(たしかそうだった)の四大聖人が祀ってあるのだが、ほんとうに真面目に祀ってあるので、やはりあれは神道であり、諷刺ではない。井上哲次郎って、それでもやはり変なひとではある。いくら尊敬するといっても、わざわざ神社を作るというその発想が、分かるが、よくやるなあと。どこかで聞いたが、神社って、ある程度、自由に作っていいらしい。国家神道はともかく、民衆信仰あるいは古層としての神道のその古代的な大らかさは、神社の境内空間のあのアジール性を作っている。
神社ねえ。伊勢神宮は、あのなんとかという川、その空間配置が大変、興をそそられた。熊野の那智大社では、朝の霧と葉っぱかなにかを燃した煙り。夜の上賀茂神社は一歩歩むのがもったいないほどの雰囲気だった。福岡の宗像大社では、まさにアニミズムの痕跡が遺っていた。
 
 アフリカ関連で、ベルナール=マリ・コルテスの「黒人と犬の闘争」を大変、読みたい。

コルテス戯曲選

コルテス戯曲選

 ホジャートより。
   アフリカ東南部のバ・ロンガ族の愛の呪文p33
 ギリシアアルキロコスp36
 アフリカ神話のトリックスター、エシュ・エレグバp37
 ウイニベイゴウ族インディアンのトリックスター
   驢馬のミサfestum asinarium,p42    
   ルキアノス「本当の話」
   ドライデンの「アブサロムとアキトフェル」
   ラブレー、スカトロジア
   
   イーヴリン・ウォー

ホジャート教授のジョンソン論
 Matthew Hodgart,Samuel Johnson,London,Batsford,1962


Joyce's Grand Operoar: Opera in Finnegans Wake
現在でも、ジョイス研究で活躍中のようだ。1916年生まれで。80過ぎて。同姓同名かもしれないが。