希望

再三の言及であるが、これもゴダール「映画史」にその映像が引用されていた。数年前、「映画史」体験の興奮さめやらぬまま、ヴィデオで見た。たしか吉祥寺のレンタルヴィデオ屋に、奇跡的に置いてあった。あそこ、奇妙なことに、デュラスの「インディア・ソング」も、ぼろぼろだったが、置いてあったので、借りて見た。「映画史」が紹介されていたころ、だれかが(たしかnさん)ゴダールが言及している映画を見るなんて、愚か、みたいなこと書いていたが、それも愚かな意見だ。なぜ映画を教えられて、それを見ることが愚かなのか?たぶん、ミーハーとかそういうこといいたいんだろうが、そんなの、全然、ミーハーでいいと思う。それで、馬鹿みたいに「ミーハー」的欲望を禁欲することこそ、ただのかっこつけだ。もちろん、ゴダールの映画史観を鵜呑みにして、追随することは批判されていいかもしれない。だけど、追随しないことには、なにもはじまらない。映画だけではないが、とにかく、見るしかない、聞くしかない、読むしなかい、勉強するしかありません。だいたい、「ミーハー」の語源って、なんだ?
以前、ある機会に、「趣味の共同体」を批判したことがあった。あのときにも同じ話題ではあったのだが、結局、問題は、プチブルたこつぼもさることながら、むしろそれに附随して派生してくる「ブレヒト問題」すなわち「普及」の問題なのだ。ダンテを読まずに、詩を論ずることが不可能であると同様、シェイクスピアというか、ぼくはブレヒト主義なので、ブレヒトなしで舞台を論ずることも、見ることは不可能なのだ。これは教養主義なのではない。そうではなくて、歴史の問題なのだ。