サドの息子たち:ピエール・ギヨタ+ミン・タナカ

すばらしい時間を過ごすことができた。ピエール・ギヨタさんの朗読/コラボレーションおよびシンポジウム。planBで、田中ミンさんとコラボというだけで、予見されるイメージだけでもはまりまくるのに、実際の姿といったら。すごすぎる。一見するだけで、圧倒的な力を感じる。
planBの汚いブロック壁は、刑務所のようでもある。私も昨年ここで踊ったが、この独房的な空間は実にいい。
 四方に放射される明かりは、橙色に空間を染め上げ、サドの子孫たちに、高貴さを与えている。
 正面に法王のように座っているギヨタさん。右に同じく椅子に座っているミンさん。ギヨタさんは、ジュネやフーコーのようなスキンヘッドである。実際にジュネとも交流があったギヨタさんは、ジュネの弟分のような雰囲気がある。気品がある。ミンさんは、カジュアルにそこにいる。あたかももうひとりの朗読者であるかのように。
 ギヨタさんが朗読をはじめる。手を回しながら。この手の動きは指輪とともに印象的であった。静かに強く震える声。ミンさんはこれまで見た緊張感のある始まりとは異なり、無防備、おもむろに、動き始めて行く。身体はずいぶん細くなっていた。終演後聞いたところによると、来週の新国立に向けて絶食しているとのこと。速く、細かい転換。
 とまれ土方巽公がジュネの言葉=種子と出会っていたがゆえ、大野一雄先生のディヴィーヌもありえたのだった。そして土方公に深く影響された田中ミンさんと、おそらくはジュネと深く関係しているギヨタさんと、そして数十人の観客とが、この日、ひとつの時間と空間とを共有したのだった。
 私はギヨタさんの声と身体から発せられるサド/ジュネの香りを嗅いでいた。いくつかある足場=土地のうち、最も重要な足場のひとつである、このフランス・ヘテロドクシー。
 場の香りだけでなく、上演遂行としても、すばらしいコラボレーションであった。震える声、震える空間。
 私はこの幸福な共有、吸引を、不思議な緊張感のなか、楽しんだ。アパテイア…?
oさん、eさん、hさん、oくん、nさんらと歓談。oくんにダルクローズの本をあげる。

翌日、青学でのシンポ。ギヨタさんの身体の、場所との親和性からいうと、planBと比べることはできないが、濃密な3時間だった。
 鵜飼哲さんは、「50万人の兵士の墓」、戦争、翻訳について。榊原晃三さんについて話された。
当時、邦訳版の帯びには、「暴行!拷問!強姦!絶望!占領!反乱!奪回!鎮圧! 」とあったらしい。
ピエール・ギュイヨタ『五十万人の兵士の 墓──反乱の雅歌篇』榊原晃三訳、二見書房、1969年。
 宇野邦一さんについては、文学界7月号「試みのギヨタ」。
 メモがいまどこかにいってしまった。
 ギヨタさんは17世紀の古典主義、いや様式の名前はともあれ、マレルバ、モリエール、ボワロー時代に立っているという。つまり、いまはなき貴族。消え去った古代的階級。
 汚辱にまみれた。あるいは、サド、ランボーアルトー、ジュネ、セリーヌらによって裏返された貴族主義/古典主義?バロキズム。ある豊穣さが破裂していくような。それはドイツ・ゴシックの直線的な軌跡ではなく、…

 古典主義というより、絶対主義というがいい。

ヘルダーリンツェランの破裂の仕方と、アルトーセリーヌらの破裂の仕方との違い。


 母親=母語殺しの系譜。