交換における対称性・非対称性

で、交換論なんだが、結局、その交換関係における非対称性が、間違っているのであり、また、美しくもないわけなのだろう。
 もしかりに等価交換が完全に対称性を保持しながら、行われるのなら、問題は発生しない。なぜなら、そこにおいては、双方が、その交換行為に納得し、また満足するからだ。

で、こんなのは純粋仮説というか理念的想定にすぎないわけだが、それにしても、非対称性がなぜかくも発生するのか、してきたのか。

 かりに人類史も自然史の一部、一ヴァリエーションとして仮定・想定すると、その運動の軌跡はどのような線を描いているのだろうか。

 歴史の幾何?