大杉栄とデマゴーグ

 そうして、関東大震災は1923年9月1日に発生したわけだが、その約2週間後の9/16日に、大杉栄は、家族らともに、虐殺された。
大杉栄は、年譜によると、1923年には、フランスにいた。パリ近郊サン・ドニメーデーで演説を行うが、逮捕され、ラ・サンテ監獄に送られる。強制送還により、7月11日神戸に戻る。
 東京に落ち着き、8月末にアナキストの連合を意図して集まりを開くが、進展を図る前に関東大震災に遭遇。
 9月16日、柏木の自宅近くから伊藤野枝、甥の橘宗一と共に甘粕ら憲兵に連行され虐殺される。

大杉栄が殺される前の二週間に見ていた光景が、あのような写真に残されたような光景であったわけだった。

あるページによると、震災の混乱のなか、陰謀論がデマとして流れ、その流通過程で、朝鮮人が虐殺され、あるいは「社会主義者」(当時のイデオロギー混交形態としての)や「自由主義者」などの政治運動家が革命を起こすとか、あるいは、他の外国人(調べないと分からないが、白人も含まれたような記述も眼にした。)も、「ことのついでに」「狩り」の被害にあった。