ニーチェを奪回する

 修正主義の目的は、日本人が誇り=矜持を持ち直すこと、と聞く。それがどのような意味かは知れないが、構成員のなかにニーチェ主義が入っていることからして、ニーチェのいう反時代的な「矜持」のことだろう。
しかしニーチェの反時代性とは、批判哲学の徹底ということだ。 そしてニーチェの批判主義は、ドイツはおろかヨーロッパ、キリスト教文明総体に渡る規模で繰り広げられた。
バタイユクロソウスキーを中心にして、ニーチェの読み直しが行われたのは、むろん、ナチズムに回収されたニーチェをいまいちど奪回するためだった。この仕事は、その後、ドゥルーズフーコーデリダのトリオによって、引き継がれる。
ふたたび、この日本においても、ニーチェを奪回しなくてはならない。
 これに関して、ニーチェの「生に対する歴史の利害について」を読み直したい。久々に紐解いて、私が本格的に「歴史」について考えるようになった契機が、この論文と、フーコーニーチェを継承した仕事であったことに思い当たった。