関東大震災

ひさびさに古本屋へ行ったら、関東大震災の写真集を見つけた。かなり衝撃的である。この本は、「東京消失」という映画のために集められた資料写真を編集出版したもので、こんにちでいうグロ映像である。
 死体の山。崩壊していく塔、建物、焼け野原。

私は長崎県で育ったので、原爆教育を受けて育っている。ので、グロ映像には、ある程度は免疫力?がある。

 しかし、関東大震災のこうした写真=映像を見ると、なんというか、ひどくリアルに感じられる。そもそも原爆は、ホロコーストと同様、近代の帰結みたいないわれ方をするような、人類史的な規模での出来事である。対し、震災とは、いまだって、いつ起こってもおかしくないといわれるほど、この地震多発地域である日本では、ある意味、あたりまえというか、日常的に、認知されている。
 しかし、それはあくまでリスク対策というか、警鐘的な認知?である。まあ、地震は、自然現象であるがゆえ、避けようにも避けられないわけだから、それは、そういう形でしか認知されないのは仕方ない。
 だが、この写真集を見ると、恐ろしいのは、地震現象そのものではなく、それに順じて起こる社会的な現象の方である。それはまずは火事である。火事は、一見、自然現象であるように、見えるが、自然現象ではない。山火事はともかくとしても、都市における火事とは、ガス・電気なしに機能しえないような人為的な社会システム(エネルギーシステム)の構造に起因するところが大きい。大地震のときはしょうがない、という言説も、ことガス配管において、それではすまされないはずだ。調べないといけないが、もちろん、ガス配給会社も、地震対策はしているだろう。しかしそれはどこまでの事態を想定しているものなのだろうか。マグニチュード8以上の震度であれば(あるいはそれ以下の震度でも)、配管が壊れてしまえば、ガスが空中に散乱する。そうなると、爆発に次ぐ爆発という、アクション映画のような光景が想像される。もちろん、繰り返すが、対策は取られているではあろう。しかし、一度空中に散ったガスに関しては、どうにもならない。ガス配管がどのような仕組みになっているのか知らない。どこかにガス貯蔵庫があって、それが血管のように配管されているのだろうけれど。
 ガスだけではない。都市には、いろいろなエネルギー貯蔵所がある。この本では、「危険物エネルギー」という表示がなされていた。原発についてもあらためて調べないといけないが、関東全域を震わすような地震が来た場合、とうぜん、以前、報道もされた茨木の原発なりどこなりの原発が、ひびわれないという保障はできないだろう。
  かく火事、震災に付随する火事は、自然現象ではなく、都市エネルギーシステムの防災対策に左右される。