「自警団」、ポグロム

 火事と、風景の崩壊とによる(焼け野原、死体の山…)パニックに陥った「自警団」の諸行為も、むかし歴史の授業で習ったが、あらためて被害者の朝鮮人夫婦の写真を見ると、ひどい。たしか朝鮮人が井戸に毒を流したとかいう流言飛語(というかデマ)を動機理由にしたものだ。ポグロムに類するような人種差別主義による虐殺である。
Cf.ロシアのポグロムについて、トロツキーが記述していた。
http://www.trotsky-library.com/photo/02/pogrom.htm
バーベリ関連での帝政ロシアと東方ユダヤ人(これは以前もリンクしたな)
http://www.age.ne.jp/x/kanya/bbl-ju.htm

しかし警察は 「自警団」による「狩り」から、朝鮮人を保護したと記録にある。警察までが、そうしたパニックに陥っていたらと思うと、実に実にひどすぎる話しではあるが、「自警団」の実態は、「暴徒」の種類だったのかもしれない。しかし、ここもいつかは調べなくてはならないが、その後、この「自警団」は、法的な審査を受けたのだろうか。
もしそうでないとうすれば、暴徒を野放しにしたあるいは黙認した警察もまた共犯、という構図になる。


 吉原の遊廓/遊女の話しもひどい。地震が起きたとき、雇い主は、遊女たちの部屋の鍵を開けてあげなかったようだ。というか、おそらくは、我先に逃げたんだろう。
遊女たちが部屋(牢)を出たころには、あたりは火の海。池に飛び込むしかなかったという。この本では、「溺れた」とある。一酸化中毒による呼吸困難もあったろうし、どんどん後から折り重なってくるひとの群れで、泳ぐまえに押しつぶされていったという。
 その死体の山の写真が、強烈である。脳天に直撃してくるような。
 池は、死体からの血と油で、どす黒くなっていたという。


 
しかし関東大震災でその最も信じ難い現象が、熱風竜巻きであった。これについては、知らなかった。両国の被服廟跡地という空き地に、4万人近い避難群集が、集まっていた。とりあえずは、ほっと一息ついていた。
 すると、ものすごい音とともに、火の竜巻きに襲われる。
 あっというまに、何万もの人が焼け死んだ。

この本によれば、江戸の火事対策でもあった、大八車を持って出てはならないという規則を、守るものがいなかったといことも書かれている。大八車には、火がつきやすいため、そのような決まりが、江戸時代には作られていた。しかし「近代化」によりそのような慣習法は忘却されていた。
 この件については、明治維新以来の、江戸時代との断絶、つまり、「近代化」の問題が現れている。というか、関東大震災自体が、まさに日本の「近代化」がなんであったかの証左でもある。
 ほとんど、地震対策も、火事対策も、行われていなかったという。
 ハリボテ近代化とでもいえばいい。


そうして、いま現在、地震はなお身近な現象である。そうしておなじく、火事およびパニックなりヒステリーなりも起こるのだろう。関西のときも公共には報道されない情報も口伝てに聞いている。レイプのことだ。

地震対策というか、実際に対策がとられるべきは、パニック対策である。
 極限状況下でひとはいかに振る舞うべきか。

 しかし大地震が来てもいないのに、集団ヒステリーともパニックともいえるような社会現象ばかり耳にするとなると、暗澹たる気持ちに襲われる。