「教育的トラウマ」、残酷さについて、再び


原爆教育を受けたせいか、私はこどものころより、こうした観点に立つことが多かった。ある意味では、トラウマのようなものであるかもしれない。ダイレクトなトラウマではない。なんというか、二次的な、教育の結果としての、トラウマのような。しかし、こうした教育的トラウマ?とでもいうようなものは、やはり必要である。
  
 残酷さにいかに、耐え、いかにそれを克服するか。克服することは無理なのかもしれない。そうだとすれば、残酷さとどのような関係をきりむすべばよいのか。