幼児主義イデオロギー

日本の「国体」における意識では、もはや中国と韓国とは手を切っていこうという勢力がどうにも強いようだ。そうして、アメリカの植民地主義に対して、喜んで股を広げている。
 しかしながら、たしかにあのセゼールが同化政策を求めたように、もはやアメリカとの関係を解消することはありえない。国益というか、たんに、国家の存続に関わる死活問題ではある。
 実際、アメリカが日本より撤収した場合を想像すると、それが日本にとって、もっともおそれることだろう。
 この国家のポジショニングこそが、幼児的なのだ。
 ここから、今日の幼児的ヒステリア(「つくる会」を代表とする自称「保守」およびプチナショナリズム)が生まれるし、また、「サブカル」への耽溺という幼児的固着(「こども」主義)も生まれている。

 そうして、その幼児主義的観点から、すべての「世界」が眺められている。
これはニーチェのいう「最後の人間」であるだろうか。そんなわけがない。
 北田さんの論では、アイロニズムシニシズムを軸に論が立てられていた。しかし、シニシズムがリミットに達して、ロマン主義に転化するというとき、そのロマン=物語がかく幼児的なものなわけだ。
 
 「つくる会」を構成し支持する「オヤジ」の全的自己肯定の仕方は、まさに主客未分化で、それゆえ、「他者」はおろか、自我以前、あるいは鏡像自我以前である。
 
 みるべきものは、とりあえずは鏡像であり、鏡である。それが割れているからといって、割れた鏡で手を切るからといって、触っちゃだめといって、とりあげている「親心」を持った親は、だれなのか?