芸術の相対的自律性と政治問題

とはいえ、ヴィグマンのダンスが価値を下げることにはならない。これはハイデガーがナチだからといって、哲学者として無価値にならないのと同じである(ワーグナーニーチェしかり)。この文化領域における「相対的自律性」は、政治主義的ないし社会学主義的な還元論の立場からすれば、認められないものであり、還元論的な観点からすれば、この「自律性」は「神話的である」とか「幻想」にすぎないと考えられる。しかし、普遍的原理として、この還元論的立場を正当化することは、私には難しいと思われる。
 これについては、最近どこかで、ダンテやマキャベリの政治的立ち位置の問題も、結局は、時間を経ることで、問題とされなくなると読んだ。つまり、政治的な問題とは、時代社会状況に密接に関わるものであるのに対し、芸術は、政治よりも長いスパンのコンテクストを持つ。この政治の短期的なスパンと、芸術の長期的スパンとを、否定するには、芸術という領域そのものの否定しかないように思われる。そして、その最大の論理が、プラトンの理論である。