2006-02-01から1日間の記事一覧

理論と直観

しかしこうした理論的な知識も、有用ではあるが、決定的な「直観」、もっとニュートラルにいえば「判断」が、創造行為においては、強い。 ゴッホ、ベーコン、ベケットetc.

哲学・芸術・科学

以上の主題系は、哲学・芸術・科学のそれぞれの文化領域でいわば分業される。この領域のどこに帰属するのか、それともいずこにも帰属せずに彷徨するか、その選択の自由度は、やはり芸術という分野が一番高い。 しかし、自由度が高いゆえ、幻想=ファンタスム…

感覚

知覚もさることながら、感覚という概念も外せない。 認知科学。

real

「リアル」。これは「現実」と訳せば、「仮想現実」とか、ジジェクの「現実界」の理論とかへと連なる。 「真実」と訳せば、「真理」概念の下位概念を考えることができる。

ミメーシス=模倣

プラトン。 ハヴロック「プラトン序説」。 アウエルバッハ「ミメーシス」。

image,simulacrum

辞書によれば、いずれも「似像」とある。 これについては、やはりドゥルーズの「プラトンとシミュラクル」「ルクレティウスとシミュラクル」(「意味の論理学」所収)および「映画I・II」。→いつになったら翻訳が出るのだろう。 また、ベルクソンの「物質と…

身体

身体主義とでもいうべきものは、私は退けたいと考えて来た。 しかし、ダンスの素材が身体運動・身体行為・身体であることは否めない。 上演において、身体は、「見られるもの」である。 ポンティ。

描写。記述

なにかを描写するということ。記述ということ。

美という価値概念

やはり「美」が問題となる。しかし、グロテスク論などを考えると、反ー美という価値がある。 これはなぜか?価値論。この価値という問題については、ドゥルーズの「ニーチェと哲学」がある。 また、「正しさ」=真理という価値概念もある。

芸術作品と芸術行為

「作品」論としては、ハイデガーの「芸術作品の起源」がある。「物」の問題。 対し、芸術を行為論で考えると、社会的行為として考えることができる。

芸術とはなにか:知覚の探求

そもそもこの基本的な概念の定義から考えて行かないと、機能論で終わってしまう。 とりあえずは、ドゥルーズやマクルーハンは、知覚の探求であるとした。

政治、哲学

しかし政治は、「正しさ/正義/真理」に関わるもので、その意味では、これは哲学の下位領域である。

ソロとグループ

芸術と政治について。ソロの場合とグループワークの場合。 1。グループの場合、複数の人間が集まれば、そこに必ず政治的な場が成立することは、疑うことはできない。 組織論、権力の問題、力関係の問題、当然、出てくる。そうした問題をいかに処理するかも…

否定性

プラトンのほかに、フロイト「文化への不満」、アドルノの理論がある。

芸術の相対的自律性と政治問題

とはいえ、ヴィグマンのダンスが価値を下げることにはならない。これはハイデガーがナチだからといって、哲学者として無価値にならないのと同じである(ワーグナー、ニーチェしかり)。この文化領域における「相対的自律性」は、政治主義的ないし社会学主義…

ナチとダンス

ナチとダンスについて。メリー・ヴィグマンも利用された。たしかに同時代人としての立ち位置を考えると、ブレヒトはやっぱりすごい。

政治モデルとしての演劇

演劇と政治の関係について。演劇が政治のモデルとなること。ナチの国家戦略における演劇モデル。この点に関しても、ラクー=ラバルトが「政治という虚構」で論じている。未読かつ未購入なので、やはり買うか。

1/28コメント補遺