芸術-産業

http://d.hatena.ne.jp/kairiw/20060428/p1
村上隆著作権事件というかスキャンダルについて考えようとしていたけど、シミュラクルだのシミュレーショニズムだのアプロプリエーション(引用的盗用)だのパロディだの、そしてなにより村上氏が今回自身の芸術の権利ないし論拠とした「オリジナリティ」について、本当に考え出すと、やはり大変であった。クラウスの「オリジナリティと反復」とかなんだとか。
当該本は買いそびれたままなので、とりあえずネットにまとめがあったので。

…なかでも、「アヴァンギャルドのオリジナリティ」で繰り広げられる主張は重要である。モダニズムの中心概念であるアヴァンギャルドとは、絶対的な新しさ、無からの創造を希求する一方で、例えばグリッドという「オリジナルなき複製体系」で、反復するしかない体系を呼び込むのだ。それまで、モダニズムにおいてオリジナリティは反復、コピー、複製とは無縁の絶対的な価値であったが、クラウスはその間のどちら側に価値があるわけでもなく、相互に関係していることを指摘する。
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/artwords/k_t/originality_of.html

でまあ、今回の騒動というか事件性は、多くの方が指摘しているように、「裏切り」とも思える氏の理念的な立場の表明にあった。
 しかし、よくよく考えれば、このセンセーションというかスキャンダラスネスは、あくまでアートの理論的かつ実践的なモードをコンテクストとしたものである。
 氏が、前時代的な、理論の流行から古臭く思われるような、ある場合には「神話的」とも評される理念を、「いまさら」持ち出してきたことが、話題となった理由であった。
 ところで、実作者がどのような理論を持ってやろうと、それはそれで自由である。
なので、もはやこの問題はアートローカルにすぎない問題なので、いまはやはり保留。
 それで、オリジナリティとはなにか?という話もいまは手に負えないので、保留。

他に問題があるか?あるとすれば、それはやはり今回のもうひとりの当事者であるナルミヤなんとかという会社である。

 アートと産業が異なるか?アートはあきらかにひとつの産業界である。そこで膨大な金が回っている。しかしそれは、「特殊」とされている。しかし他の自動車メーカーなり服飾業界なり食品業界でもいいが、そうした「一般的」な産業と、比較して、共通するところを抜いてなお残る領分はなんだろうか?つまりそれがアートの「特殊性」なのだが、その実体はなんだろう?
 つまり、アートも一般産業界も同じ産業であるとしたら、なにが問題とされるのだろうか?
 ここでアートの「特殊性」=本質をうんぬんしたいわけではない。

私がおそらく問題となるなあと感じていることが、「権利」、直截にいえば、「著作権」の問題である。私的所有権の問題とかなんだとか。これまた膨大な問題系なので、結局は保留なのだが。

 どなたかも書いていたけど、氏の社会的立場に相応した巨額のマネーと、他方のシミュレーションとしての、もし、これが無名アーティストのデザイン盗用だったとしたら、この企業は、この金額を払うかということだ。推測だが、当然のように払わないだろう。そして、こんかいのような話題ともならないだろう。

 社会的立場なり社会的評価なり社会的承認なりを巡る弱肉強食の規則、すなわち資本主義の語義としての、ということだ。強いものと弱いもの…。

 今回の事件性、ではない、話題性は、まさにこの社会の本質のひとつを、まざまざと例示したことにあるのではないか。
 
 つまりすでに当然のごとく、アートは、「一般産業」からの避難所=アジールでもなんでもなく、ただの産業の一分野となっていること。この指摘すると当たり前すぎて、なにが問題か一瞬分からなくなるような次元が、露骨に呈示されたということだろうか。
 
 しかしまあ、村上氏のネオリベラル的な開き直りなんだがな、やっぱり問題は。(って、循環しすぎである)