タイフーン/柔らかい運動

怒濤のタイフーン@下北沢。嵐=sodeの偶像はyくん。出来事が多すぎて、書けない。大変楽しいwsでした。
発表会の参加者の人数もすさまじく、ひとだらけ。
 10年前に下北沢を離れて以来、ほとんど行くことはなかったが、再開発反対運動の一環としての“文化台風”企画のおかげで、いろいろ再発見があった。ジャズ喫茶マサコもまだやっていた。当時、本をよく買い売りもした幻遊社のおやじさんもご健在。「標準日本舞踊譜」、ホイットマン「草の葉」など。白樺書院は店が半分くらいになっていた。フラー、色川武大など。その近くでのガラス窓=sodeで、パフォーマンス。こんなにおもしろいとは思わなかった。作業中のおばちゃんがまさに巻き込まれる形でのiくんの数秒のパフォーマンスは、奇跡wのようだった。
 別のsodeでは、スポスポsodeのなかに入って行き、その人数で、sodeを測量するもの。「計画/測量」のパロディのようなもの。16人。というか、全員、入ってしまう。あのようなsode/路地/通路に、あれだけ入るとはなるほどねえ、ってなにが「なるほど」?
 陸橋とホームとのコール&レスポンスは、もっとダンドリクンでやるとかなりよかった。でも楽しかった。駅員が飛んでくるかと思いきや、意外や放置。まあ、学生が遊んでいるんだなということで無害視されたのだろう。
 …どこかのチームが路上で撮影していて、下北がこういう場所の「占有」に関して、かなり寛容であることを知る。いまの常識だと、警官=警備員が飛んでくるもののようだが。
 戦略として、こうした「柔らかい」ものの、強さというのもやはりアリである。wsのなかではメッセージの織り込み方法、直接性なども、話題として触れられた。
 「遊んだもん勝ち」あるいは、抵抗戦略としての「徹底して遊びぬくこと」など。あと、トランポリン。

先の日曜の会議でaさんが提示した「前衛とは寛容である」という命題にも、応答/リンクするような。

白樺書院では、モラヴィアの政治社会評論集「いやいやながらの参加impegno controvoglia」(1980)をも購入したのだったが、儀式と修辞を好み、現状維持を望むのが、ファシズムであるともあった。むろん、これはパラフレーズであり、正確な引用ではないが、いずれにせよ、「四角四面=スクウェア」的なものに真っ向より衝突するよりも、合気道的なかわし/ずらし/茶化しも、それを無力として断罪するより、そうした柔らかい運動の潜在性を拡張し延長していくことも、大事であろう。あらためて。