days:London Man、ピンチョン

stephenと会う。一才しか違わないロンドン出身の彼と、音楽や映画の話で盛り上がる。お互いの世代的な共有で、いくども爆笑。私がうまれてはじめて買ったレコードは、「ジョーズ」のサントラだといったら、かれは風呂場でそれを聴くというw
 ロックと本格的に出会って買ったはじめてのCDは、マーク・ボランの「スライダー」だといったら、これも爆笑。
 彼のプロジェクトにどこまで応えられるかどうかすこしおぼつかないのだが(というのも場所が場所だけに)、出会いは出会いである。このような偶然性を大事にして行きたいものだ。
 「james」というバンドについて教えてもらう。

トマス・ピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」を数十年振りに読み始める。以前読んだときには分からなかったピンチョンのマニエリスム的な文体が、ロスやトウェインやホーソーンの言葉と共振しているような感覚がある。それにしても、テレビとか映画での脇役を経験している人物が「ヴァインランド」などにもたしか出て来たが、もしかしてピンチョンは、映画などのエキストラや脇役をアルバイトでやっているかもしれないと思った。だから、顔写真を公表しないのではないか?もしそうだとしたら、ブランショのある荘厳な顔写真の非公表とくらべ、なんてピンチョン的で、なんとすてきなのだろうと思う(ブランショブランショでもちろんクールだが)。
 付記:デリダもかつておそらくはブランショのまねで顔写真を非公表していたが、日本の現代思想関係の本では、ばんばん載っていた。それも、思想家というより俳優のような顔写真がおもいっきり。以前、デリダが来日したとき、アエラの表紙におもいっきり顔写真、それもたしかななめから撮った顔写真を掲載していた。同じときにNHKで放映された鼎談ではデリダはかっこよかった。司会をやっていた浅田彰もメロメロっぽかった。ところでなぜデリダは解禁したのだろう。まあでも、解禁の結果として、それまでの非公表はデリダに萌えさせるチラリズム的な戦略だったことになる…。失礼。