days タワーVSアマゾン…バブル的なるもの/memo

タワーレコード倒産って聞いたから、でもかりにそうだとしても、営業は続けるだろうと思ってとくに気に留めていなかったけれど、やっぱりちょっと気になってネットで調べたら、2004年にアメリカのタワーレコードが倒産したということだった。タワーレコードジャパンは別経営だそうで、どうやら違うみたいだし、サイト見ても(そんなにじっくり見ていないけれど)載っていないから、大丈夫かなと。
 でもアメリカのタワーの場合は、やはりなんといっても、アマゾンからのダメージによるものらしい。
 タワーを特に応援しているわけでもないけど、これまでほとんどタワーで買って来た(なんどかHMVに変えようかと思ったことはあったが)。またアマゾンについてもいろいろ風評は聞くし、一回しか買ったことがないのだけど、そしてそのとき1500円以上の買い物だったのに、送料だか手数料だかどっちか分からないままとられてしまっておかしいなと思ったけど、大した金額ではなかったので、問題視せず、結局、その後その本の値段をさる書店で見かけ、値段をくらべたら、アマゾンの方が安くて、うーん、よく分からない小銭の請求を超えて、やっぱこれからはアマゾンなのかと思ったものだった。でも本屋で、パラパラ立ち読みしながら、買おうか買うまいかと悩む時間とそのとき集中する感じが、あとからすればほとんど無駄な時間なのだが、けっこう好きだし、なにせ学生のときに身につけた習慣で、かれこれ10年以上、そうした本を選ぶ時間ともに、私にとって本はあった。しかもアマゾンで買った本は洋書だったから、洋書を買うときは、日本語書籍を買うときよりも、別の覚悟が当然要求されるわけで、そのような時間はやはり特別なものだった。
 とはいえ、やはり母語としての日本語については、捨てるに捨てられない。捨てたくもない。最近流行の日本語再発見みたいなモードはくそだと思うけど、日本語は言語としてはやはり面白いと思う。
 とはいえ、これからも、とくに英語の書籍は読んでいかざるをえないし、「日本語」の閉塞感はそれはそれで嫌いなのだから、閉じ込められないためにも、あるいはそれだけでなく、いろいろな言語使用者と話すためにも、英語は必要である。
 もういまさら英語帝国主義を批判してもしょうがないとも思う。

あ、アマゾンの話だった。だから、やっぱりいくら便利で安くとも、やはり書店などで実際に手に取ってみることはそれなりに重要な過程だし、もし、そのような機会を完全になくしてしまうと、つまり、書店なるものが完全に消えてしまうと、それはそれでまずいだろう。でも、おそらく、そんなことにはならないだろう。いくらアマゾンにしても、あるいはネットショッピングがどれだけ普及しようと、街から店舗が完全に消えることは考えられない。
 これからも、いろいろ熾烈な競争があり、いろいろな店も潰れていくだろうが、でもまた新しく店ができもするだろう。

ま、これまでのありかたがおかしかったわけで…。
バブル経済という実体性のうすい、予期される価値を神話的に捏造していくやりかたが、さすがに実体のないままだと存続しなかったということ…ちょっとここ、説明するの面倒になってしまったし、説明するとなると長くなりそうで、これ以上はもう今日は時間がとれないので、打ち止めだが、バブル的な過剰なものは、もうずいぶん落ち着いたとはいえ、いまだそこかしこに、痕跡があるし、生きてもいるように思われる。社会に偏在するバブル的なものについては、いずれ文に直してみたい。