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最近、目が痛い。より正確には、眼精疲労による頭痛などの諸症状が連鎖して起こっている。
 だから、もろもろ中断しているエントリーについても書けない。

鎌倉の続きは、ミルクホールという喫茶店としてはかなり理想的な店で白ワインを何杯も飲んでいたらイタリアかぶれとからかわれたことや、自分のアル中体験について話したらHさんに励ましてもらったこと、そのあと寿司食って、そういえば昼にも寿司を食べたのだが、その昼にいった寿司屋はとても小さくてとてもいい感じの旦那さんがいたこと、こちらも中断したくはなかったけれどこちらに用意がないのでいたしかたなかった件のアルトーの文庫、大澤真幸の文庫などを買った。たしか翌日はsさんの舞台だった。中野の今度の12月になくなるという中華料理屋に行く。よくいっていたベトナム料理屋がなくなっていて愕然とする。無用なチェーン店ばかりが増えている。最悪。
 
 書かなくちゃいけないことはイタリア体験の続きと、それから、これからのプログラムの編成。むろんこの後者こそが重要で、そこから、あいも変わらずの本棚整理(ほとんど白痴である。が、ようやく三年ぶりくらいにか一息入れることができている)。ようやく、いくつかの本を売却した。メシアンの本や、現時点で不要と思われた詩集や小説など。しかし、実は「いざ」と思いきるとなると、ほとんどの本はいらなくなる。本当に必要な本は30冊くらいである。あとは資料であったり、つきあいであったり、いまはその価値を見出せていないものなどである。しかし多分、どんなビブリオマニアでも、本当に必要な本は30冊くらいだろうと思う。ここから、本の圧縮について書きたくなったが、長くなりそうなので、また後日。

 ブレヒトの「亡命者との対話」を読むが、文章ではなく内容が難解である。ブレヒトについては、近々「政治社会論」が復刊されるようでそれを読むと、もっとクリアに分かるだろう。

 マーティン・ジェイの「暴力の屈折」に収められている「難破船へ潜る:世紀末の美的スペクタクル見物」という論文はこの手のものとしては非常に明快でよくまとめらている。この論文のなかで下敷きとされているブルーメンベルクの本は「難破船」という題で邦訳があるものだと思う。
 同じくジェイの「慰めはいらない:ベンヤミンと弔いの拒否」を現在読書中。だが、疲労がひどいので、気分転換もかねてこうしてブログった。