恭賀新正/風と傾斜と抱負

 正月七日、過ぎちゃいましたが、明けましておめでとうございます。

 ずぶずぶと雑煮の餅と酒と妄想とテレビの沼にはまってしまってたのが、なんとか浮上。ビートたけしの「人間性クイズ」はやっぱり面白い。志村けんの肉布団とか、本当に、純粋にくだらなくて、すばらしい。
 懸案の仕事のことも、ようやっと割り切ることができた。
すっきりいったあとでは、なんて他愛ないことで悩んだり葛藤したりするもんだなと思う。「合理化」というやつか。
 延々、時間割=タイムスケジュール問題でもめてたのだが、それはなによりも、自分の仕事の時間割の方の問題だったということ。
 このことに昨日、気付き、めでたく、新年を展望できそうだ。
ま、新しい業務を始めていくわけだから、またいろいろあるのだろうが。

 「鴛鴦歌合戦」が満席で入場できず、悔しいので穴埋めとして八重洲ブックセンターで本を漁る。「ジェフ・ウォール」(ファイドン社)を延々悩みながらも購入。ティエリー・ド・デューブ他の解説付き。軍艦島のムック本(のようなもの)とかも欲しかったが。写真本もいろいろ欲しい。帰宅するころには暴風。風に抵抗しながら歩くため、自然、体の角度を斜めにして、傾斜させないと、歩きにくい。絵本の「北風と太陽」を思い出す。
 
 年末年始の間にも、エントリーを書こうとはしていたのだが、途中でめんどくさくなったり、またやはりなにかと忙しくって(気忙しいというのが正しいのだろう)、6つくらいの書きかけのエントリーを中途で放棄。
 
でも考えてみりゃ、溝口の「赤線地帯」「山椒大夫」「楊貴妃」「西鶴一代女」「歌麿をめぐる五人の女」「祇園の姉妹」「近松物語」「浪花悲歌」「お遊さま」「武蔵野夫人」「女性の勝利」「祇園囃子」「夜の女たち」「雨月物語」「愛怨峡」についてなにかを書こうとする方が無理というもの。
 また、同時にyさんより勧められ借りて一年くらいしてこれまた年末に一気に読んだ村上龍「半島を出よ」についても、いわく話が多過ぎて、放棄。
 いやでも、溝口は当然としても、龍のこの小説、評判通り、傑作である。抑制された分析的文体が時に冗長で、また、あまりに諷刺が過ぎるとの評もあるし、たしかに読んでいる内に、そうも思ったのだが、しかし諷刺は諷刺なのだし、ボッカチオとかパゾリーニに比べれば、もっと諷刺があってもいい位なのかもしれない。とかこんな話を始めると、また長くなるので、中断。
 忘れないうちに書いておくと、世良木医師の人物像には崎戸ー佐世保出身の小説家、井上光晴の面影も織り込まれてある、と思った。崎戸についても書きたいし、また行きたい。
 松浦寿輝が30億あれば映画化を制作したいといって、できたら坂本順治監督でと希望していたが、現在、クァク・キョンテクが監督で、日韓共同制作で映画化がはじまっているらしい。

 ついでに2006年を振り返るなか、フィリップ・ロスの「ヒューマン・ステイン」とかのこともあったのだったが、とりあえず、ロスの金属的とすらいえる硬質な分析文体についてもエントリー化したいという夢も叶わず。
 ロスに比べれば、龍の文体は、所々適度に弛緩していて、それが逆によかったのかもしれなかった。あの内容を延々、バリバリの緊張感で占めたら、逆に魅力が減ったかもしれない。分からんが。 
 でも、やっぱがんばらんと、とは思いましたね。へなちょこばっかだとぼやいて自分がへなちょこになってちゃ、しょうもない。
 ということで、長い間温めて来た九州西海地方に関する企画をいよいよ本格するぞというのが今年の抱負。
 
 舞台の方は、3月に見本市で20分の小品と韓国での公演が控えており、現在猛速度で稽古を進めているのだが、これが滑った原因だったのだ。でも足取り取り直したので、あとは淡々と作業を進めて行こう、というのが小抱負。