days  冬の九州

 三橋修先生の最終講義。においについて。松原岩五郎の名前を他人の声で聞くのは久々で、懐かしい。数年振りに三橋組の人々と会う。みな元気そうでなによりでした。でもやっぱ年を取ったかな。8年という時間のしわ。大先輩たちとも初めて会う。Hさんという伝説的な方は、獄中よりレポートを書いて送ったとのこと。次の日があったので朝まで残れず残念。でも十分、堪能できた。
 同時に最首悟さんの最終講義もあったのだが、1994年に行われたパロディとしての最終講義にはSさんに誘われて行ったのだった。奇遇である。94年講義の時に印象的だったのはパスカルの知識論の引用で、今回はパースだった。

 九州に向かう。博多はとても冷たく、佐世保も寒い。東京の方が暖かいのは太平洋に面しているせいもあるとしても、30年前には考えられなかった、といわれるがどうだろうか。当時の各地の気象情報と現在のそれを比較していくのも案外面白いだろう。もしかしたら昔も、やはり東京より、日本海に面する九州北部の方が寒かったのかもしれない。なんとなく知っている情報からいえば、朝鮮半島は日本列島より寒い。日本海の方が太平洋より寒い原因には、大陸からの風向きだのなんだのいろいろあるのだろう。
 九州が暖かいというのも、南九州のイメージが強いからだろうが、九州北部は思い出せば昔から寒かった。むろん夏は日差しが強く暑いのだが、冬には雪が降っていた。長崎では梅雨にはものすごく雨と嵐が暴れるし、実際、1980年代の水害がひどかったころなど、いったいどれだけ降れば気が済むのかというほど、延々どしゃぶりが続くこともあった。気候の変化が激しいのである。
 冬の話だった。九州北部の冬といえば、やはり灰色にくすんだ曇り空の下の光が想われる。実際、今日1月31日も正午頃はそんな光に庭が満たされていた。夕方にはまた日差しが強くなり、真横から光が差し込んで来る。
 

 テレビでレイ・ハリーハウゼンの遺作「タイタンの戦い」を観る。笑える。ゼウスだかなんだかはレーザーを後光としている。とても安っぽくてとてもくだらなくて、これはやっぱりすばらしい。台詞が非常に少なく、説明はほとんど画面の進行だけで語られる。
 この映画が1981年に公開されたことを考えると、あのペガサスにはかのプリンスも影響を受けたかと思って調べたら、「愛のペガサス」の方が先だった。「フラッシュゴードン」とかも見直したい。
以前こどものときに見た映画で非常に覚えているのだが、監督名や作品名が不明だった怪獣ものの映画があったが、それはハリーハウゼンによるものに違いない。まだどの作品かは不明だけれど。

 そして風邪を引く。帰ってきた意味がない。

仕事が山とあり、またなにかとやる事と考えるべき事が多くて、疲れたが、ひとまず落ち着いた。
明日は福岡の今泉に店を出した旧友らと会いに行く。


 ウィル・スミス主演、ガブリエレ・ムッチーノ監督「幸せのちから」を見る。エリートビジネスマンになるのはどのような努力が必要かというお話で、いわゆる「サクセスストーリー」。自分の不遇を社会や他人のせいにせず、セルフ・ヘルプで階級上昇をしよう!という善良な資本主義映画。前半での階級脱落のシーケンスで使用される脳天気な音楽が場違いな感じがして不思議だった。いまはサクセス後だから、階級脱落した「あの頃」は「うるわしき日々」として、現在、回想されているということか。つまり、階級脱落という経験が、物語上の現在の経験としてではなく、過去化され、エピソード化されていることを、あの楽曲使用は示すのだろうか。

 はしごして、スコセッシの「ディパーテッド」を見る。相変わらずストーンズ。ディカプリオのパフォーマンスがいい。映画全体は嫌いじゃないのだが、全体の印象からいえばゆるい感じがした。しかしこの「ゆるさ」はいまにはじまったことではなく、「タクシドライバー」や「カジノ」ですらも「ゆるく」感じられるわけで、むしろスコセッシの作家的特徴と考えた方がいいのかもしれない。つまり「最近のスコセッシはどうしたのか」というよく聞く言い方はどうかと思う。
 それでも、マーティン・シーン演じる警部がふっと無音で落下するシーンや、タランティーノの「レザボアドッグス」とさらにその引用元である「友は風の彼方に」の引用・アプロプリエーションあるいはそれへのオマージュのようなミニマル銃撃戦的なアクションシーケンスの冒頭に置かれたディカプリオ演じるビリーの最期の描写は客観主義とでもいえばいいのか、安易な主観的感情移入を跳ね返すようなあっけなく冷徹な対象との距離感覚がいい。もっともこのミニマルな設定とミニマルなアクションで勝負した「レザボアドッグス」の方がいわゆる「完成度」は高いだろう。
 ベラ・ファーミガが可愛い。
 「ディパーテッド」のオリジナルといわれる「インファナル・アフェア(無間道)」を見てないし、また「レザボアドッグス」のオリジナルである「友は風の彼方に」も見ないといけない。とはいえ、オリジナルーリメイクということでいえば、「ヴァニラスカイ」を見たあと「オープンユアアイズ」を見ると、申し訳ないがリメイクされてこそこの映画は生き残ったのではないかと思われた。ネットでの感想を見てまわると必ずといっていいほどリメイク版よりオリジナル版の方がよく評価され、リメイクがほとんど必ずけなされているのだが、こうした評価傾向のフォーマットには、オリジナル信仰というか、「オリジン=起源」なるものを絶対的な価値として想定する神話的な思考形式が見いだされる。まあそうした思考形式もまた模造によるものだから、「神話的」でもなんでもなくむしろ「イデオロギー的」なのではあるが。

 「ディパーテッド」が全体の印象からいえばゆるい感じがしたのは、この前日かなにかに、イーストウッドの「ファイヤーフォックス」の前半部を見てしまったせいかもしれない。後半部のスターウォーズ振りは賛否両論だろうし、私もなんだかなとは思うものの、まあ当時の映画テクノロジーの摂取ということではいいのだろう。ま後半部はともかく前半部はフィルムノワール的な感じで、とても黒く、感嘆した。

 
 グエン・ホン・セン監督の「無人の野」を途中から見る。ベトナムのデルタから見たベトナム戦争。舟と水上ゲリラ線。亀採り。ヘリの攻撃から逃げるために赤ん坊を水に沈めるのはなんとも印象的である。 
 

 九州に来る前にヒッチコックの「バルカン超特急」と「三十九夜」を見た。いずれもさすがのヒッチコック、無茶苦茶面白い。
 また、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を一気に読んでそのあまりの素晴らしさについてもなにか書いておきたいとも思うが、難しい。