days 佐世保

sさんが来る。
九州ははじめてというsさんが博多駅佐世保駅との印象では、韓国に近いね、と。
たしかに、このあいだソウルに行ってからというもの、九州が、東京と韓国の中間に、地理的にも歴史文化的にも、位置しているのを、ますます実感するようになっているので、御意の笑い。
 
早速、旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念会館、いまは市民文化ホールと名づけられている場所に行く。
 sさんが小屋番のおじさんに、凱旋記念館ホールとかの方が、味があっていいんじゃないですかとか、話す。おじさんはよく分からない様子だったが、嬉しそうにも見えた。
 ここは第一次世界大戦以後、海軍の戦勝記念館として作られた建物で、1923年に創建され、さらに太平洋戦争後、米軍に接収されて、ダンスホールや映画室として使用された後、日本に返還された。
 中は、米軍が水色のペンキで塗ってしまっているが、もともとは白だったらしい。というか、なんで水色に塗ったのだろうと話していると、やっぱマリンのイメージなのかね、ということになった。たぶん、そうだろう。でなければ、意味が分からない。もちろん、水色に塗れ、と決定した人に聞かなければ、本当の所は分からない。
 建物自体は、横浜のバンクアートや京都のアートコンプレックスっぽく、アンティークないい感じのもので、きちんとリフォームしたらいいのにもったいないね、と話す。
 二階では、戦時中は、軍服の裁縫室だったらしい。

この建物には今回はじめて入ったのだが、あらためて佐世保の特性を知る。 
 佐世保は、明治以降、軍港として発展した港町で、日本の近代の前哨都市のひとつとしてその歴史を国家とともにしてきた都市であり、造船都市でもある。
 いまでも米軍と自衛隊が共存しており、居酒屋などでは看板に「自衛隊さん大歓迎」などとある。
 以前、iに、なんで佐世保人は政治的なんや?と聞かれ、よく分からなかったのだが、昼の12時には空襲警報みたいなサイレンがいまでも市内中に響き渡るし、原爆の話、佐世保大空襲の話などを繰り返し聞かされ、…バブルの時ですら、それは変わらなかったのであり、つまり「戦争」が忘れにくい場所なのである、あらためて。
 
そのあとレンガ倉庫街に、さらに鹿子前に出て、西海パールシーに行き、ホール下見。
 sさんが、佐世保を一巡したあとは、北欧っぽくない?とおっしゃった。
韓国に近いことはもちろん分かるのだが、北欧のイメージが出て来るとは、多分、そのとき、曇りだったのと、街路樹もすでに何十年経ち、なかなかの風格を持つようになってきているからかもしれない。
 一服したあと、展海峰に行く。今日は生憎曇りだったが、日照りが強いと、私などは目を開けることができないので、逆に良かったかもしれない。

ゆっくりと晩飯を家で食べ、翌日は、出発時間までコッペで話す。

おばちゃんが車でフェンスに激突してたが、まったく平気な様子。元気である。
なんでも、ブレーキとアクセルとを踏み違えたらしい。