days 奈良

制作で入ったアジアトライに忙殺。まだ佳境。
客人Kのために四人で奈良に約十年振りに行く。奈良へは一時は年に複数回通っていた。
興福寺では迦桜羅=カルラ(ガルーダ)像が、楳図かずお「14歳」のチキン・ジョージに似ていることを発見。楳図かずおが奈良で育ったことを思えば、当たり前なのだが、以前興福寺に行っていたころにはまだ「14歳」を読んでいなかったのかもしれなかった。
 おばちゃんやノラちゃんや猫のひるねちゃんがいた日吉館もまだ健在だった。日吉館もなんとか復興できないものか。
会津八一の歌碑も相も変わらず健在。相変わらず東大寺はすばらしい。
 東大寺華厳経寺院であることを再認する。ちょうど二月ほど前、井筒俊彦の「事事無碍・理理無碍」(「コスモスとアンチコスモス」所収)を読んでいたので、ちょっと感慨深かった。
 二月堂でお茶。春日大社に参り、森を抜け、高畑の新薬師寺に向かう。
バザラ大将像の色彩復元計画が行われていて、今回奈良に着いてすぐに入ったコンビニで不思議な、お祭り用のような服装をしていた人たちを見ていたが、あとでこの日がちょうどバザラ祭りであったことを知る。
 

 ・天平バザラ色彩復元 http://www.cadcenter.co.jp/casestudy/detail.php?ID=cg0067

 ←ちょっとこの色彩には魂消た。でも、教王護国寺の立体曼荼羅を思えば、このド派手さもさもありなんではある。だが、現在の色のはげ落ちた状態のものの方が、どう考えても風格がある。以前世田谷美術館の東寺展に玄関に配置されていた首なしの像があって、それは焼けたまんまのものであるようだったが、強烈だった。古美術の魅力ということになるのかもしれないが、そのときの彩色なり当時の状態よりも、こうして時が刻まれたものの方が圧倒的な力を持つように感じられる。こうして色彩が復元されることは当時を知るうえでよいことであると思うが、まさかやらないだろうと思うが、塗り直しちゃったら、あの時の刻みをまざまざと見せる荘厳さが消えてしまう。顔が青いが、吉野の秘仏蔵王権現三体も、堂内で「秘仏掲載」として売ってあった本を見ると、青かった。
 また、南大門の仁王像がカラーだったとは思われないがどうなんだろう。あれは鎌倉時代の東国武家に合わせた美学なのだろうか。
 ところで日本のプラモデルとか、とくにガンダム世代の私などには、仏像は本当に、プラモの原型だなと思われる。プラモもフィギュアも仏像直系だろうと思う。

 寺でビデオを少し見ていると、新薬師寺はかつて大寺院で、以後、落雷、台風、兵火でぼろぼろになっていったという。というか、奈良の諸寺院、まだちゃんと歴史を調べていないが、潰れて再建、の繰り返しだったわけだ。
 高畑を抜け、飛火野を通るも、まだ日照りが強く、鹿の糞だらけで寝転がることができない。
釜飯屋でようやく休む。リズムが崩れ、昨晩寝ていなかったので、消尽した。
 夜、二月堂にあがろうとするも、体力的かつ風呂の時間のため、南大門で軽く打ち上げ。
以前、この南大門で夜を明かしたことを強く想い起こす。
 翌日、法隆寺。強すぎる日照り。しかしこの日照りと土塀との組み合わせがかつての時代を思わせる。ローマも秋だったのに、案外暑かった。フォロ・ロマーノを夏の日照りのなか歩くとだいぶ違うだろう。というか、あのときは、人が多すぎて想像の遊びに集中できなかった。
 法隆寺のある建物(名前失念)で天井というか身丈というのか、寸法がやけに小さく、飛鳥人の身長ってこんな感じだったのかとも思うが、実際、どうだったのだろう。 
 時間が迫っていたので、タクシー。運転手のおっちゃんがお好み焼きを人生のなかでいかに食べてきたかを語る。法輪寺法起寺を車内より眺める。このあたりもかつて歩いたことがあったが、まだ見てない場所がいくつもある。
 慌ただしく京都まで見送り、まだ昼だったので、吉野に向かう。吉野は今回がはじめてで、ちょっとやばいくらいすごかった。金峰山寺しか見ることができなかったが、角の菓子屋の団子、草餅がものすごくおいしい。帰り道は山道を通る。吉野はまた来ないといけない。
 橿原神宮前駅でいかにもの味付けのおでんとうどんと食べ、橿原神宮に行こうとするも、結局、暗くて引き返す。
 夜、今夜こそはと、二月堂に行く。いい道があった。
朝、ゆっくりし、さんま寿司を食べ、一合ほど残った日本酒を一気のみしたら、よっぱらって京都まで寝る。
 京都は奈良を上回るほど暑く、以前Hに教えてもらったイノダコーヒーでゆっくりする。
二条城に行く。溝口健二西鶴一代女忠臣蔵を彷彿とさせる。江戸城はどんなものだったろうかと思う。天井が高い。涼しい休憩室から出られない。
 長袖のひとがいる。たしかに日照りが強いから長袖もいいのかもしれないが、湿気もかなりあるので、どうなんだろうか。
 夕方、鴨川で納涼。納涼床も京都らしい。先斗町で串カツを食べ、帰る。のぞみは早い。
以前、国内を延々回っていたころ、交通費はもちろん宿泊費が高くて困り、結局、国内旅行は控えるようになったのだが、いつのまにかネットでシーズンオフということもあるのだろう安く泊まれるようになっていた。