兵庫県三木市細川町の「脇川山」

兵庫県三木市細川町に「脇川山」があり、「脇川集落」もあった。教海寺という寺に関する。室町時代地誌「峰相記」にも記述あり。秀吉に逐われたとある。
MB好きの方が写真をネットに上げておられ、おかげで、その旧字体の「ワキ(出てこない)」が母いわく、それが、もともとだったのであり、いまの「脇」は新字だという。戸籍の方でも、といっても、佐世保の書類は空襲で、脇川家のも市役所のものも焼けてしまっていた。が、菩提寺にはあるかもしれないというから、今度こそ行ってみる。

 他にも奈良県吉野郡黒滝村脇川という地名があり、これについては以前、吉祥寺の図書館の地名辞典で調べてあった。
 他、千葉、四国、平戸、松浦、佐世保、熊本、福島、青森にも「脇川」の姓名地名がある。
 
 ネットだけの調査にすぎないが、このうち、新潟岩船の脇川と粟島浦村、そして、兵庫の脇川山にはいつか行かないといけない。
 まあよく分からないとはいえ、どうしても「海人」と脇川人とをつなげたくなる。
いずれにせよ、現時点では私の生家には家系図など古文書はすべてアメリカの空襲によって焼かれたので、どこぞの脇川家の方がネットなりに載せてくれたりするとありがたいのですが。
 ま、闇の歴史であれば、載せるわけにもいかないだろうけれども。

さて自分の姓名を調べるといっても、日本史、海上交通史、各国との交渉史を調べないことにはなんともならない。
 
 それで、ちょっとすさまじい本を読んでしまったのだが、鳥越憲三郎「古代中国と倭族」である。
うーん、これについてはまた。