最強の理論(ドリル中)

という触れ込みのゲーム理論
文字通りの、「書き込み式最強のゲーム理論ノート」(渡辺隆裕著、ナツメ社)を買う。 [rakuten:book:12171969:detail]

 むかし経済学をちょびっと勉強していたころ(といっても、そのとき出会った友人のおかげで、なんだかんだ二年くらいは結構、みっちりやった)、合理的選択理論をかじったことがあった。そのときは、大庭健さんと川本隆史さん訳のアマルティア・セン「合理的な愚か者」に至り、やっぱミクロ分析よりエチカだろってなことになり、そのうちお家騒動に巻き込まれ、エチカ以前の、どうにもならない現実問題としての人生問題=死活問題に直面したため、誰よりもブルデューのいわば客観主義的な実存主義に縋った。その後の遍歴は省略するとして、自分の体質として、すこし過剰な情動により、つい好奇心が暴発し、どんどん拡張していき、ついに混乱に至る→しばし休息→また反復、みたいな循環を通ってきた。それでも、自分では、ある程度は抑制しているつもりなのに、相手が知識とか本だと、結果、無際限になる勢いであった。いまでもそうで、古代東アジア史にはまっていき、つい、ご隠居になるところだった。それを休止させたのは、変な話、戦争、つまりは第二次世界大戦であった。今回は、満州関東軍から、日中戦争日中戦争については、それがいまなお日中関係に響くが故、これからもある程度まで押さえようと思うが、なんにせよ、蒋介石がどうも変人なようで、解釈がいろいろ変わっていく。互いに宣戦布告もないままはじまったから「戦争」といわず「事変」という、などということに、へえと思いつつ、図書館に行ったら、戦争論、軍事論に至る。パワープロジェクション能力問題とか。
 なるほど軍事論は、国際政治のいわば根幹であり、力関係を本質とする政治にとって、最大の問題のひとつであるがゆえ、非常に勉強になる。各国の「国民」感情の論理なども、軍事的な文脈から見ると、非常に明瞭で、ナショナリズムをどう考えればよいかについても非常に有効な視座を与えてくれる。
 で、なんでこんなことやっているのかといえば、むろん、九州の地政学的な背景があるからで、いよいよもって、本格的に経営に関わることになったからである。あとから整理してみると、であるが。 
 もっとも、経営論にせよ政治論にせよ、人事問題、あるいは人間関係論でもいいのだが、ひとはつねにその渦中にあり、それゆえなんらかの意思決定をそのつど選択せねばならず、たとえ妄想や仮想的な対象とのみ関わっていても、それはつねにつきまとう。
 とまれ、書店を散策していたら、偶々このゲーム理論に再会し、パラ読みしたら、なんともヒットしてしまう。以前チェスにはまったときにせよ、政治問題にはまったときも、数学に憧れたときも、そして自分の、自分にとってはほとんど暴力的ともいえる、荒ぶる好奇心の問題も、このゲーム理論で解決できるわけではないかもしれないが、整理し解決していくうえで、相当、有効な気がする。こんなに有効な本は、普通には、秘密裡にしておくのが常なのかもしれないが、私はつねに長期的観点を持つように癖づけているから(笑)、こうして洩らす。まあ、理論は所詮理論であるし、このような有効な理論はすこしでも一般的になるのがよいのではないかと、啓蒙主義的な希望を持つからというのもある。普通に(というのは意味不明であるとしても)、この本は、超おすすめである。
 この本に類するものは、三浦俊彦「論理パラドクス」「心理パラドクス」であるが、

論理パラドクス―論証力を磨く99問

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心理パラドクス―錯覚から論理を学ぶ101問

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このゲーム理論は、そのドリルないし公文的な面からしても、そのシンプリシティ、すごい。
 知らなかったが、このゲーム理論は、最近の理論経済学ではやっていたそうで、ノーベル経済学賞も、たくさんとっているらしい。
 まだドリル中で、こんなこというのもなんだが、こうした思考の技術によって、回避できたこともあっただろうし、これからもありそうだし、なにより、混乱する自分の頭を整理するのに、とてもいい。
 むろん、このゲーム理論はその応用つまり実践が重要であり、実践にあっては、なんにしても感性つまり趣味判断がからんでき、それは出会いという偶然性・不確定性に左右されるものだから、また次元が異なってくるとはいえ、関心を論理的に整理していくことは、感性を進化させていくことにつながると思う(信ずる)。