「宇宙」について

ラッセルについてのメルマガn.oo64より。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/russell/index.htm
「宇宙なる観念はコペルニクス以前の天文学の名残りにすぎず、…哲学者の答えうる範囲外の問題で、 恐らく解決不可能と主張できる。」
 これは「宇宙」という観念ないし概念(厳密にいえばideaとconceptは異なるが)の完全否定である。「Mysticism and logic」よりとのこと。
 原語がuniverseかworldかは不明のものの、これはなんかすごい。さすがラッセル。
 現在、いわゆる宇宙物理学が研究していることなどをラッセルだったらどのように考えるのか。
原文はこちらにあるが、http://russell.cool.ne.jp/beginner/METAPHYS.HTM
 おそらく「形而上学」批判の一環としてのことであろう。

…しかしまあ、論理実証主義的な形而上学批判は、門外漢の私からすると、なるほどとは思うものの、デュメジルレヴィ=ストロースなどの神話学や人類学の成果をどう見るのだろうか、興味がある。ピーター・ウィンチあたりが考察しているだろうか。

 一民俗学者(今はじめて自称する)として思うのは、論理実証主義と神話学・人類学とは同時代的なプロブレマティックを共有しており、いわばホントウの神話的思考(ナチズムなり原理主義なり)への批判としては、協働しあえるのではないかと思ったりもする。着想だけであるが。

 私見では、神話学と論理実証主義ともに、可能な限り観察および分析を続けるという思考態度についての名であり、あらゆる思考形式を、観察対象とみなす考え方ではないだろうか。

 メタにメタを重ねるあまり、私などは客観主義を超えて、かつ超越主義にも至れず、ドツボに陥ったものだったが、それは単なる失敗であるとしても、ラッセルのこの言明を理解するには、どうしてもタイプ理論を理解しなくてはならないだろう。
 この点に関して、新井白石に関係することがあるのだが、いまは措く。

 
さきほど、させぼ村とメキシコ料理屋「エレーナ」に行く前に、博文堂で、リサ・ランドール「ワープする宇宙」を買った矢先のことである。
 ほか、時枝誠記国語学原論」、タイモン・スクリーチ「大江戸異人往来」を買う。