人類学について

また国立民族博物館についてのテレビ番組もさきほどあった。館長の古き良き人類学的観点からの、昨今の応用人類学に対する、「人類学ファンに対し失望を与えているのではないか」という、ぽろっと批判も面白かったのだが、また対話者の鷲田清一さんの、いや、現在の人類学的認識は高度に複雑で繊細になっているのですという、一生懸命なフォローも面白かった。
ちなみに私は、館長の批判に同意する。人類学の歴史的反省をするあまり、高度に倫理的になりすぎて、人類学の領域を、社会学に還元してしまう勢いの応用人類学に対しては、それを無価値とはいいたくないものの、しかしそれは職分(役割)を履き違えていないかと思う。とはいえ、クントゥルワシ博物館の創設に関する行動に対しては感動したのだが。とはいえまた、番組のなかでも触れられていたが、社会的実用性を重んじることは、しばし同時代の政治的社会的利害に準じるということになり、それでは、植民地主義に加担した廉で批判される過去の人類学者と、結局は同じなのではないかということもある。ここはむろん、大変な問題ではあるが、学問としてはどうしても価値自由の原則が優先される方がいいと私は考える。すくなくとも、研究と政治とを混同することは、好ましくないと思う、…ぐるぐる循環することになるのでしょうがないのだが、ま、異なる次元の認識ということは外せないということか。現在私も居士として手を染めている歴史人類学・民俗学民族学的な調査におけるロマン主義的欲望は、必ずしも否定されるべきではないということだ。なぜなら他者を愛したいという気持ちは、すぐれて健全な人間の感情であるからだ。