チベットはチベットである:不幸な意識

中国政府の対応について、北朝鮮、シリア、セルビア、フィジー諸島、ザンビアシエラレオネベナンカザフスタンタジキスタンキルギスグルジア、モンゴル、ネパール、バングラデシュの14カ国が支持を示したという。
 これらの国のうちのいくつかについては、中国との関係が国益になるからという、いわば政治経済合理的観点からのものがあるというのはわかるのだが、事情を知らないこともあり、なぜ支持するのか想像も及ばない国もある。
 
ざっーと、中国・東アジア王朝史を漁って数時間経ってみると、あるいはまたそれと同時に日本列島の歴史の反省とを重ねると、しばし俯瞰的な観点を持つことができ、今回の事態に関する耐性が、できる気がする。
 
 たとえばこんなことを思う。
戦争反対をどれだけ叫んでも、世界から戦争がなくなる気配はまったくない。
さきほど新シルクロードとかいうテレビ番組で、チェチェンでのおぞましいまでの軍事教育がなされていた。子どもたちは「民族学校」の授業で、どれだけすばやく銃を組み立てられかなどということを教わっていた。ある子供は、「国境を守るため」といっていた。
これはエリツィンプーチンの恐怖政治がもたらすものだ(1994年以降現在に至るチェチェン侵攻)。
 ロシアがチェチェンに対して行っていること、中国がチベットに対して行っていること、そして日本がネグリに対して行ったことは同質のものだ。
 そこには国家のエゴイズムがあり権力妄想がある。
ヘーゲルの「不幸な意識」というのも思い当たる。*1

つまりは、「自己意識」の病だ。

言いたいのは、戦争という手段を乗り越えることはこれからも断固として求められるとしても、戦争の火種の根絶はほとんど不可能であろうということ。
 
今回の十四カ国による中国支持について思うのは、こうして、戦争というのは始まるのだろうということだ。
 
 中国だって、日本やアメリカと再び戦争をしたいとは思っていないだろうに。

ひるがえって、入管。
 ですから、やっぱり、ゲーム理論のドリルを公務員すべてに義務づけてほしい。
こうなればああなるというのが本当に見えないのかな。
見えないようだ。
これが、「不幸な意識」。