筑波

「やもしれぬ」が「である」となって、十年前に移植した左眼角膜が拒絶反応を起こしているとの由、ツジモトさんに紹介してもらった筑波大学病院にて診断を受けた。
六割の角膜がやられているが薬で直ることもあるということで眼球注射してもらう。念えば既に昨年角膜の一部が微かに白くなっていたが当時は視力異常が自覚されなかった。
 医師先生らの迅速な対応にあらためて科学技術の妙を見、感嘆するのにも、病院に向かう道すがら筑波の未来主義的景観の体験が反響しているかと思われた。筑波は初見でまだ全貌がつかめないが、松と未来主義が似合うことを、ラヴェンナやロ−マのボルゲ−ゼ公園の地中海松と未来派が似合っていたのを想起されるとともに、報される。特に松見公園のあの塔は、未来主義時代の手塚治虫、特に「火の鳥」のそれを連想させるが、むしろ手塚の影響下のデザインかもしれない。
 強い日差しのもとで、バス停で待つ。小さな陸橋の向こうの松並木に目が奪われしばし、未来的な学生に路線を確認すると「つくばセンターイコールつくば駅なんで」といういかにも未来的な応答が面白い。
 筑波山に行きたい。そして絶望感情を和らげたい。と、残った時間を使うことにした。
 どうも路線バスは恐ろしく複雑怪奇で、一度駅に戻り、直行するシャトルバスで向かう。延々と列なる並木の向かうには北畠親房神皇正統記を執筆した小田城がある。
 筑波山神社への参道は鄙び、木造のタクシー会社の車庫がよく佇んでいる。温泉街である。平野から空の青に架けて入道雲が昇り、夏の光景の王道である。
 筑波山神社には「宇宙の卵」があり、牧野富太郎が名付けた「マルバクス」があり、とてもいい感じである。また来ようと思い、さっと振り切り、温泉に入ろうかと旅館に聞くと、3時を過ぎていてだめだった。神郡の方へ降りる。私は佐世保烏帽子岳の中腹で育ったので、斜面への愛がある。空の青、入道雲の白、神郡の畑の黄、そして懐かしい斜面。もはやすでにこれらだけで十分慰められた。幼稚園に隣接する溜め池も、久しくみていなかった。あの濃緑に濁った池のなかには「高野聖」のタガメなどがいるのだろう。
 神郡に至る畦道。電線。ひどく強い日差し。ロバート・ジョンソンやチャーリー・パットンのデルタブルースに憧れた高校放校前の夏の下宿時代の感覚の痕跡がまた新たに摺り込まれ直す。
 天狗党が蹶起の準備をしていたといわれる普門寺、それから北条へ抜けて行く。そのあとに会った方に聞いた話しに、北条出身の有る人がこどもの頃よく馬の足音を聞いたといい、それはむろん天狗党の亡霊である。
 筑波山はもともと、露伴翁が紀行文を書いていて、それでいつか行こうと思っていたのだった。15年経って、偶々実現した。くさくさした気持ちも晴れた。