舞踊「物と春」について

今回は「物と春」と題し、荘子の徳充符篇をモチーフとしました。

主催者より「自然と心の再生」というテーマが提出され、青島左門くんと、自然と文化、ピュシスとノモス、それからルソーの自然主義ロマン主義、そしてその亜流としての安易なステロタイプとしての「自然への回帰」でなく、また同様「世界の総意」としての「エコ」でなく、自然と人間社会(文化)との関係をどう考えようかと会話を繰り返していきました。

谷中の左門くんの部屋で文机のうえに老荘が置いてあったことが引き金になって、以前ちょろっと触ったものの、その後繙くことなく、しかしいつか読もうと頭の片隅にあり、引っ越しなどにともなう本の大移動という嵐にも耐えた森三樹三郎『老子荘子』の再読にいたる。それにはじまり、原典はどの版を買おうかといろいろ探す。

福永光司訳注版の朝日文庫がよいとの評判だったが絶版で、図書館で取り寄せると、なるほど異様な迫力で、ハイデガーギリシア哲学講義を彷彿とさせる。その他、明治書院の新釈漢文体系(全118巻・刊行中)なども繙き、いつかこの叢書も読みたいものだと思いつつ、結局、岩波文庫版を買う。老子岩波文庫版は新訳であるが、ぶ厚く、中公文庫版にする。


このかん、荘子および老子を十数年ぶりに繙くと、その思想のすばらしさはいわずもがな、どれだけ日本人が老荘を読んできたかがわかって驚きました。
あのひとの言葉(「無名派」など)、かのひとの言葉、はては居酒屋や酒の名前など、とにかく、あれもこれも老荘だったのかと、本当にあらためると驚くばかり。キョンシーなどもむかし流行った。
 しかも、道教史を繙いたら、日本で道教思想および老荘思想(両者は厳密には異なりますが)は、陰陽道修験道神道そして天皇制の数々の形式や名前、儀式にも深い影響を与えている。
 それどころか、184年の黄巾の乱で有名な太平道などを考えていくと、あなおとろし。道教は鬼道ともよばれ、邪馬台国の鬼道との関連も想像される。

 もっとも、系統樹という観点からは、同じツリーに帰属するといっても、大陸道教と列島道教とではほとんど別種といっていいほどの差異がある。
 
 …後略