ヒウィッヒヒー

ヒウィッヒヒーをやりはじめてみる。
なんでみんながやってるのか、ようやく、つまり、体験してはじめて分かった。

なるほど、いろいろ便利だしスムーズ。

一言・つぶやき・メモといった軽い使い方と、ある程度まとまった文などを載せる使い方とか、ほかにも写真アルバムとか、いろいろ使い方がブログにはある。

ブログの様式に別にルールがあるわけじゃないだろうが、まあ、いろいろ五月蠅くいわれることもある。
五月蠅くいうひとは自分の趣味を押し付けてるにすぎないのだが。

ツイッターは軽い使い方を特化することで、そういううざさを超越した。

ツイッターについてはだいぶ前から知ってはいたが、ネットに食傷していたこともあり、
また、歴史発掘にかまけていたから、ふーん、というところだった。

始めたきっかけは、ガタリの「アンチ・オイディプス草稿」(みすず書房)とかが出たらしいとかいう情報をツイッターのなかで見つけたからだった。ブログだと、アンテナとか、またはてなの場合はキーワードなどを仲介しないと入手しにくいのに対して、ツイッターはスピードが速いのと、文をそんなに読む必要もない。

ツイッターはブログとチャットのあいの子といわれるが、それとも違って、もっと「進化」したもののように思える。ブログをさらに破片化し、常時アンテナページにいるような。。

「有名人」のつぶやきをすぐあなたに届けます!みたいな宣伝文句だと、ひくひとも多いだろうが、
なんと社会学者のユルゲン・ハーバマスまでツイッターをやっていた。
たぶん、本人。いくらなんでも、本名だして、フランクフルトに住んでて、哲学・社会理論やってますとプロフィールに書いてあって、肖像写真はともかくとしても、英語でなにかツイートしている(なにか妙な難しさがある英語。)のは、やはりさすがに本人だろうし。なりすましだとしても、、、まあ、なりすましの可能性がないとはいえないが。。。。

さすがコミュニケーション理論のひとというか、なんというか、けっこう、魂消た。

デリダがもし生きてて、ツイッターをやってて、ハーバーマスのツイートに返信したりリツイートしてたら、と思うけど、現状をみてたら、そんなのあって当たり前で別に驚くようなことでもないな。

ヒウィッヒヒーで検索して、「嫌儲主義」なることばがあるのを知った。