新年はやはり

とあるところで話してて、やっぱり、はてなは偉大という話になって、大分、放置していたが、なんか書くか。

うーん。あけましておめでとうございますw

昨年を振り返ろうにも、膨大すぎて書けん。

孔子孟子がやはりすごい件。

ずっと探していたマクニールの『戦争の世界史』を長崎駅前のほんだらけで入手した件。

うどんや羊羹を作った件。

そしてなにより、小学校のスーパーカー消しゴム以来、封印していた自動車のすばらしさに目覚めた件。東京モーターショーに初めて行ったが、感銘をうけた。未来を志向することの健全さについて。

震災はいわずもがな。震災以後の時代精神および言説について、いろいろ批判したいところもあるが。たとえば、「3.11以後、世界は変わった」みたいな言い方。震災の衝撃はわかるけれども、それを超越論的に、特権視することは、非歴史的であり、したがって、現実の重力を見失う。むしろ、日本における地震の歴史を調べることの方が重要であるし、よっぽど、発見がある。実際、福島問題にしても、その根本原因には、歴史の喪失、健忘症がある。人類史および文明史を少しでも勉強すれば、人間がそうは変わっていないことが、決して否定的な超越論に陥らずに理解することができる。

温故知新とはよくいったもの。孔子論語はたしかに非常に面白いのだが、そのことごとくが、あまりに当たり前で驚くばかりだ。しかし、そのような当たり前のことが記された書籍も珍しい。思想のラディカルさでは、墨子荘子、またはイエスの方が勝っているかもしれない。しかし、孔子の、どこまでも世俗、社会、人間の限界を認識したうえでの思想はやはり比類ない。その意味での匹敵は、ゴータマ=シッダルタか。

欧州がこのまま、シュペングラーよろしく没落するか、アメリカによる中国包囲網戦略が妥当するか否か、あるいは停戦中の朝鮮戦争が再開するか、それはいずれも不明であるが、ひとりびとりが懸命に人生を生き抜くしかないということ。

イクメンよろしくガキと付き合うにしても、相手は猛獣、いな怪獣である。