惑星的な、あまりに惑星的な

3/19本日、19年振りに月が地球に最接近している。月が地球と最も遠い距離にあるのと比べると、14%も大きく、30%も明るい。「スーパームーン」というらしい。1993年以来のことだという。これまでに1955年、1974年、1992年、2005年に起きた。
 2004年12月のスマトラ島地震の二週間後の2005年1月にもスーパームーン現象が起こった。1974年のオーストラリアのトレーシー台風のときにも。そして、2011年3月11日の東北関東大地震の一週間後の3月19日…。
 と、こうしてデータを出されると、どう考えても、月の引力がプレート運動を誘発したのではないか?と思いたくなる。が、天文物理学的には、地震と月の運動との関連は無関係、ないし関連性は証明されてはいないとのこと。(無関係であるということをいかに証明できるのだろうか、ってこれは悪魔の証明。)

 また、NASAが発表するところによれば、今回の地震で太平洋プレートが動いたことで、地球の自転速度が上がり、一日の長さが1.8マイクロ秒(1マイクロ秒=100万分の1秒)だけ短くなったという。地球には、自転の回転軸である地軸と、地球の質量的なバランス軸である形状軸とがある。地軸と形状軸は約10m離れているが、今回の地震形状軸が約17cm動き、地球が一時ぐらついた。

 今回の震災には人災の側面ばかり、議論されるし、それはある意味当たり前で健全であるともいえるのだが、一方で、このような自然史的な視点を持つのも重要であると思う。
 今回の地震は、「人間」の枠を超えるような出来事であるのは間違いないし、地震学者もいっていたように、「科学」ないし「人知」を超えるような事態だった。だからといって、国の原発リスク対策の不備の免罪になるわけでは勿論ない。
 6500万年前には、直径15kmの小惑星が秒速20km(時速だと×60×60で、時速72000km)で地球表面に激突した。そのエネルギーは原爆の10億倍。M11以上の地震と、300mの津波が発生し、大気中にすすや硫酸塩が舞い、太陽光線を遮った。地球は極度に寒冷化し、生物の6割が絶滅した。1億5千万年ものあいだ生物の王であった恐竜も絶滅した。その痕跡がメキシコのチクシュルーブ・クレーターである。
 この想像するだに恐ろしい事態も、今日の科学では、ひとつの事実のデータとしてある。
 このような地球に向かって襲来するものへの対策がどこまでとられているのか?と問うのはやさしいことだ。もしかしたら、衛星兵器がこのような衝突物を破壊し、破片に変えるような作戦も構想されているのかもしれない。
 しかし、秒速20kmで向かってくるものに対して…

このようなことをみだりに語ると、すぐに「極論」だとして片付けられる。しかし今回の震災は「極限」的なものであるのは統計的にも歴史的にもたしかだ。
 「極論」を片付けてしまう思考様式とは、あくまで「人間」の枠内にとどまろうとするものだ。そこに閉じこもる、といってもいい。
 しかし、自然はすでに「人間」を超えたものだ。私は、そのような自然の極限にも、「人間」の思考と想像力は及んでいると考えるし、事実、科学はそこまですでに踏み込んでいる。近代科学だけではない。古代の思想にしても、自然哲学にしても、むしろ果敢にそのような極限の自然に向き合ってきた。今回のような自然災害、自然の災厄にしても、同じことだ。そうして人間はつねに極限の自然に晒されており、あるいはまた、人間という存在自体がすでに、いわば極限の自然でもある。
 極限の自然は、存在がたまたまあるという偶発性を露出させる。そして、その偶発性に耐えることこそが、人類の営為であり、あるいは人生の根幹である。アメリカの哲学者リチャード・ローティは、この「偶発性に耐える」という論点から、ニーチェプルーストといった思想家・芸術家を論じた。しかし災厄、または極限の自然が、圧倒的な暴力でもって現前させるのは、「偶発性に耐える」ことはすべての人類に本来的に要請されているということだ。

================
http://rocketnews24.com/?p=79206
NASAは日本の地震スーパームーンとの関連を否定。http://rocketnews24.com/?p=80466