イマージュオペラ>>モノブロック<<「この懐かしき蒸気」

イマージュオペラ>>モノブロック<<「この懐かしき蒸気」@planB、無事(?)、上演が遂行された。
ああ、曽我さんの技術に、単純に痺れました。なにもかもが奇蹟のように思われたほど、特に、照明のタイミング等、その確かな職人以上の技術はすばらしかった。というか、ふつうにプロといわれるひとでもあそこまでできないし、というか、やろうともしないだろう。負けた、とは思わないが、本当に心より敬服する。自分も、あそこまで、時間と空間とを、確信をもって、一秒一秒を、一枚一枚丹念にめくっていくような感覚で、踊ったのははじめてだった。出来については、いまだヴィデオを観ていないので、客観的には批評できない、というか、しないが、それにしてもすばらしい体験であった。綾原=鶏も、その登場のタイミングの正確さは、ありえないと踊りながら、驚いた。その驚きは、私をほとんどこう笑させていた。舞台上で、照れ笑いでない、素の笑いがでてきたのも初めてだった。
 作品性、というか、観客として、距離をもって、批評する気はさしあたって起きない。それは体験それ自体が充実したものだったからだ。そのあたり、武藤さんのいうマスターヴェーションであるのかもしれないが、まあそれならそれでよい。仮にわたしが、あの上演をそのような視点(リビドー的視点)で捉えるとすれば、わたしのナルシシズム/オナニズム空間に、他者を招き入れたことができた(少なくとも複数の人間が「没入」していた)ということだ。考えてみれば、私が遂行したことは、私の師である大野一雄笠井叡、あるいは田中泯、そして土方巽らが通過していたことだ。なんといえばいいのか、ベルクソンは、芸術を知覚の拡大だとしたが、それはまた、自我を拡大し、拡大することで、破裂させ、その破片を採集していく作業、ともいえるのかもしれない。
 そのようなナルシシズムの問題は、意識的に取り入れたわけではなかった。ただ、オートヴィオグラフィアでも書いたように、プルースト/自伝的探究の作業が、反響しもしたのだろう。集中、というよりは、没入、没頭(フリード)だ。クールベの画集をこの2ヵ月、むさぼるように見ていたことも、関係しているだろう。
来てくれたひとには、ほんとうに感謝しているが、なかには楽しめないひともいただろう。でもまあそれは仕方のないこと。現時点で出せるものは全て、ではないが、大分、出せた。ここだ。いま、「出す」といった。表現といってもいい。なにが表現なのか。なにが表現されるのか。体内のものが外界に出て行く、流出していく。それを陳腐なやり方で、象徴解釈すれば、射精行為の代償、代用行動となるのか?
 踊りの要素はたしかに種子でもあり、たしかにそれは射精されるものだ。わたしは先輩の精液を、受け止め、受胎したがゆえ、踊っている。と、こうすると、いわゆるオナニーではないわけだ。その先輩ダンサーは。だから、武藤さんのところでの問題というのは、もっと空間というか、出来事(としての上演)の性格
から考える方がいいのかもしれない。私の精液をぶっかけられて、不快に思ったひともいれば、愉快に感じたひともい、また受胎したひとも、いるのかもしれない。
 表出行為/表現行為/発信/発射/射精 - 感動/受信/享受/受胎妊娠

行為者と観客との関係の構造。動いていいのは、行為者であり、観客は動いてはならない。
これは王権、政治のモデル論としても考えることができる。なるほど。
演劇と政治が直接交差する点のひとつは、これだ。

昨日は御徒町の稽古場。天井が低く、ピエールさんが不快を感じていた。昨日については、まあ大変のひとことでしたね。待っても待っても、集まらない。結局稽古ができたのは、一時間程度。あほくさいといえばあほくさいし、フツーにはヤバイのだが、そこはさすがに白痴である私、テンパリながらも、新しい空間を楽しんでいた。天井の低さは、面白い。やはりそんなに日本人はつい、30年前まで、小さかったのか?これはふつうは冗談として流されることだが、平均身長は歴史統計的には当然低いらしいから、あながち冗談でもなく、ほんとうに社会はもっと背の低いものだったのだろう。むろんすでにタワーもビルもあったろう…
あと、あれだ。日程情報の行き違い問題があった。相良さんは3時間遅刻。3時間、半泣きになりながら、迷っていたらしい。あきれるを通り越して、面白い。3時間も迷わないよ、ぼくは。住所も建物の名前も分かっているんだから。「地図を読めない女、なんとかができない男?」なんて類いの話は疑似科学として片付けられるが、あながち…なんて。まあでもたしかに方向音痴に、女性の方が多いのは統計上の事実であるらしい。だがそれは生物学/生理学的にそうなのだろうか?まさかとは思うが。文化的社会的にそのように構成=教育されるからだろう?この説明問題で思い出すのは、知的障害者の施設で働いていたときのことだ。それまで、知的障害は、後天的なものだと、つまり社会関係によってそうなるのだとばかり考えていた。だが、先天的なものもあると聞いて、すこし混乱した。うーむ、いま考えると、理由は幼児期における高熱でそのように脳が欠損したりするわけだから、「先天的」というのが、どういう意味か分からない。遺伝ということか。

hmwのフリーメールで、笛田さんが内野さんをはじめとする批判文を書いた。面白いので、応答した。
ブルデューだね。問題は。つまりホモアカデミクス、ポジショニングの問題だ。
社会的存在としての、批評家、学者、インテリ。その社会的制度的保証との絡み。
ああいう批判には、開き直りで答えても全然いいとは思うが、つっこまれると、だいたいのひとは、黙秘権を行使するようだ。

クロソウスキーも読みたいが、12月のデュラスをやらないといけない。アンテルムが帰還したとき、階段の踊り場で、アンテルムが微笑したとき、デュラスは、発狂した。そのくだりを知って、鳥肌がたった。

すでに死体として分類されていたアンテルムらしき棒のような身体が、ミッテランに対し、「フランソワ」と語ったこと。

ああ!背筋がぞくぞくする!原爆も恐ろしいし、虐殺は恐ろしい、それが、目の前の現実として現前したとき!

衝撃が走る。アウシュビッツの話しはほんとうに、すさまじい。だが、ことはドイツに限らない。中国の精神病院も、さして変わらなかったりする。写真集「忘れられた人々」

あのレベルのところから、デュラスを読み直さなくてはならない。
アンテルム「人間という種」
プリモ・レ−ヴィ「アウシュビッツは終わらない」…