思考形式とダンス

今日は洗足池スタジオ。昨日の夜中より、やっと構成表、要素表を打ち込みはじめる。打ち込みというのもあらためて面白いものだ。始めるまでは億劫だが。草稿のデータを入力する過程で、検討が入る。
忘れていた要素を再発見したり、忘れていた課題を再認識できる。こういう作業、好きなのだが、毎日はできない。以前、詩作に打ち込んでいたころ、とにかく毎日書き続けた。一年くらいか。おかげでボロボロになった。その理由は、書くことだけではなかっただろうが、しかし書くことが、苦しみを増長していたのかもしれない。あのころはなにもできないでいた。働きもせず、ひとにも会わず、誰とも電話すらしない(いま思えば、そのころ電話で時々話していたのが、去年トラクターで参加してもらった中西Bだ。まさかあの時、ぼくがこうなるなんて予想もできなかった。
追い込まれた者同士、とりとめもないこと、文学、哲学思想、政治、社会について、延々と喋っていた。
ゴドーを待ってたかもね。
ゴドーがgodかどうかは、ベケットはたしかgodではないと言っていたはずだが、まあたしかにゴドーをgodとして解釈すると、非常に退屈になるのはたしかだ。だが、ベケットの全作品は、今日の神学として読めるのもたしかだ。「神学」といっても、それはニーチェボードレール以降の「神学」では当然あるが。
「神」は、「不在」と言い変えられた。おそらくはブランショが、もっとも明確な形で、その事態/思想をあらわにした。いまデュラスを素材にして、イマージュオペラ>>ロマンティック<<「死の病い、居留地にて」を作っているが、このあたりの思想史的文脈も、もっとしっかり追いたい。アンテルムを読む必要がある。
 今日も、アンテルムの話しばかりしていた。ホロコーストについてぼくが知っていることは、素人レベルではある。だがそれは専門家と比較しての話しだ。強制収容所について、ほとんど、受験勉強レベル、というと語弊があるか、「多くのユダヤ人が、むかし戦争中、ナチスヒトラーによって、虐殺された」という文以上のことは知らない。むろんぼくだってそれ以上のことは知らないということもできるし、実際、まだ読むべきなのに読んでない本も多くある。だが、知識のひらきがあるのもまた事実だ。つまり、周りには、ぼくよりも知らない人間がいる。その差異は大した差異ではないし、一ヵ月くらい集中して、文献を漁れば、ぼくのホロコーストについての知識などすぐカヴァーできるだろう。それで、じゃあなにを語ればいいか。大学時代、その手のことを話しても、ああ、そう、うーん、もういいよ、とか、日本人なんだから日本のこと考えればいいんだよ、とか、このヨーロッパかぶれめ、とか、まあ多くの「抵抗」を受けた。
 こないだあるひとと話していたら、そうした左翼的言説は、中学なりなんなりの、教師によって、強制的に教えられ、もうそれでうんざりしたのだという。ぼくは、九州の、青雲学園と、そこを中退して、福岡の大濠高校に編入し、ふたつの学校に行ったのだが、いずれも右翼教育はさかんなれど、左翼的言説はほとんど聞いたことがなかったから、そういう話しは、なんというか文化的差異/カルチャーギャップ(最近この語も聞かないな)を感じたものだ。
 それで、ダンサーの岡田さんが、その手の話は知らないし、共有してないので、知りたい、だからなにか参考資料を教えてくれという、なんともうれしい申し出があった。とりあえず、レーヴィの「アウシュビッツは終わらない」と、アラン・レネの「夜と霧」を伝えた。だが、本番まで、あと一ヵ月切った時点で、押さえようとしても、時間的に無理だねえみたいなことをいってしまった。いまよく考えてみれば、これはよくないことだ。つまらない配慮というか、配慮にすらなってない、自分の作品にもっと時間を割いてくれというエゴイズムによる考え方だった。知ると知らないでは、大きな差異がある。踊るうえでも、手掛かりがあるのとないのとでは、まったく違う。
 このあたりのことは、「啓蒙」の倫理の問題だ。演出家/振付家は、出演者に対して、教師の立場にならざるをえない。そうしたヒエラルキーが嫌で、そういう身振りを避けて来たが、避けることは、むしろ悪徳だし、無責任だ。断じて、振付家は、「教師」としての使命をまっとうしなくてはならないはずだ。すくなくとも、「よい教師」たりたいのであれば。世に悪徳教師は多い。ぼくはそういう連中を憎んできた。連中への憎しみが、ぼくを不良少年にした。それが原点のひとつではあるのはたしかだ。その後の人生の方向を決定づけたから。
 自分で書いてて、なんかアツイ話しになって来たことが分かる。しかしこれはたしかにアツイ話しである。つまり情熱の問題だ。社会に参入していくうえで、ぼくは苦しんだ。あのころ誰かに助けてほしかった。しかしあるとき観念した。自分で助けるしかない。ぼくは10代の時、20には死ぬだろうと強く考えていた。11才くらいのときから、19才までのあいだ、ずっとそうした死の想念、死の強迫観念はつきまとった。死の衝動はいまでもあるし、ひどく強くなるときもある。
 
 今日は、笛田さんがいい感じで割り込んでくれた。ホロコーストの話しをいま延々話すよりも、たとえば銃殺刑に処されるからだが、どんな状態かを、ws的に体験した方がいい!はい!撃て!バババッ!!
 野沢さんも岡田さんも撃たれちゃった。そして体は死んだ。体を失って、そこから霊魂が蘇る。死者だ。能も土方巽も、そこから舞ったのだ。たしかにこうしたシンプルなことは必要だ。感謝。
 どうしてもぼくは言葉で説明しようとする。しかしそれは「悪い癖」だとは思ってない。昨日も野沢さんと電話していたことだ。ダンスといっても、それは言語操作と同じく記号操作である。次元的な差異はあるが、オペレーションであるには違いない。たとえば制作みたいな作業と踊る作業は違うという。そして前者は簡単で、後者は難しいという。ぼくはちょっと怒った。断じて、そんなことはないし、それは完全に間違っている。踊ることなど、そんなに神秘的でもないし、たしかに複雑だが、それは制作の作業なり、労働なりとも同様の複雑さにすぎない。ぼくはダンス至上主義は否定する。身体神秘主義も。たしかにダンスはいいようのない感動をもたらす。音楽とも絵画とも文学とも違う仕方で。たしかに、そうした訓練を受けてないひとからすれば、それらは非常に特別なことに見える。だがそれは見かけだ。仮象においてだ。
 まあぼくはむにゃむにゃ考えている。そんなこといいながらも一方で、ダンスの難しさがある別種の、未知の次元を潜在させていることもすでに予感、ではないな、体験している。また、からだというものが、未知であることも、そのことは知っている。
 スピノザは、われわれは身体について何も知らないといった。エチカの身心平行論についてはドゥルーズの説明を受けた…いや、その前に、そのことは知っていたな。ポンティだったか?市川浩だったか?
 まだ若く、哲学史を、ぞくぞくしながら、漁っていたころだ。あのころは楽しかった。子供のように無心に、毎日のように図書館に行っては、いろんな全集なり、本なりを引っぱりだしては、直し、引っぱり出しては直ししていた。コンパもなにもせず、大学に入ってからは、ほんとに、本、本だった。よくあそこまで好奇心が持続したものだ。高校時代の悪友/親友は、驚いていた。ぼくの以前を知らない人間は、オタッキーだと思っていたようだ。その分裂は、結局、友達が作れなかったという悲しい結果を産んだが、まあ友達というのも、定義の問題である。デリダの友愛の政治学を、買い損ねているが、帯のことばは印象的だった。どうだったか、ああ友よ、わたしには友がひとりもいない、だったか。あれも読みたい。

 読みたい、読みたい、ばっかりいってるな。しょうがない。

チラシ折り込みスケジュールを立てる。選択すれば、なんということもない、5000部くらいすぐはけそうだ。一安心。

今日はibookをスタジオに持ち込み、打ち込みながら、同時に、稽古をやる。意外といける。笛田さんのサポートのおかげでもある。ぼくひとりだと、つい興奮して、話が長くなったりするし、また、けっこうきついことを僕は言ってしまうから。笛田さんも、違う意味で、きついのはきついだろうが、ダンサーにとっては。
 だがいい稽古ではなかったか。構成の段階まではいけなかったが。まあでも重要なのは、構成より、ダンスの質であるし、そこを高めるには、どうしても深く踏み込まないと、だめだ。なぜそれができないのか、それはあなたの思考形式がそうさせているからだ。下手すると、洗脳にはなるが、まあ洗脳しようというつもりではなく、あくまで、ぼくなりの「振付け」をやってるだけだ。これがぼくのやり方だし、いまはまだそれに確信を持っている。いつか、変更することもあるだろう。だがそれまではこれで行けるところまで運ぶ必要がある。