ヒットコマ

今日は御徒町で稽古。予備通し、といえばいいか、通しの流しか。シーンの数が多くて、削除するか、編成しなおす必要がある。非常に面白いところがある一方で、やばいところもある。去年のトラクターと違い、素人がいないので、大変である。素人というのは、ジュネやパゾリーニではないが、技術を持ったものにない、ある独特な魅力を持っているものだ。自分で制御できない。だが舞台に立っている。つまり素人は、限界に立っているのだ。一番ひどいのは、適当にならいごとしたやつのパフォーマンスだ。あれこそ最悪である。素人といっても、まったく未経験がいい。下手な知識があるよりも、ずっといい。それはごまかしがないからだ。真の素人は、絶対に嘘をつけないし、それゆえ真実である。
 今回は、ピエールさんにしろ笛田さんにしろ女の子三人にしろ、みんな技術を持っている。頼めば、ほぼなんでもやってくれるのだが、素人にあるような、真実性に出会いにくい。去年はその意味で、最高に楽しかった。いってみれば小学校で、舞台をやる感じに近い。
 ともかく、今日は3分の2くらいまでしかいけなかった。
しかし、どうしよう。今日は朝、行き掛けに、トータルセリエズムについての文章を読んでいた。
ぼくの好きなトリスタン・ミュライユのことも触れられていて、大変刺激的だった。セリー音楽についても、ノートをとらなくてはならない。
 
 しかし、どう構成するか。3時間くらい上演していいのなら、すべてを出すことができる。ほんとうはそれがいいのだが。選ぶ勇気が必要なのも分かるが、なにせ歌舞伎座で働いていたこともあったので、歌舞伎的に4時間5時間6時間というのがいい。オペラもそうだ。ダンスで長いのは、そうだな、ピナ・バウシュバンドネオンは3時間くらいあったか。3時間くらいは欲しい。だがまだ観客を納得させるまでには…。だが、やりたいならやればいい。ぼくは余計なことを考えすぎるのかもしれない。
 
 稽古のあと、麻布die pratzeで、上杉貢代+アヒルスタジオ。いい。たしかにあれくらいシンプルに、じっくりやるのもいいな。いまのぼくとは対照的だ。あれくらい時間を引き延ばすには、どうしてもやまほどの稽古が必要だ。さすがにみんな、何年もついただけのことはある。上杉さんのソロもいいが、群舞もいい。導線の組み合わせ方もおもしろかった。絵画をモデルとしているのだろうが、それが成功していた。
 綾原もいうように、始まり方もいい。マギー・マランにも通じるものがあった。上杉さんはフランスにいたから、当然マランを見てもいるだろう。直接的な影響というより、フランス文学の、フランス文化の香りか。パンフにいはマラルメの「苦悩」という詩が掲載されていた。たしかに舞台は詩に対応していた。だがそれを詳しく論じるにはさらなる注意深さでいわなくてはならない。
 曽我さんを通じて、室伏鴻さんと少ししゃべった。踊りはなんどか見ていて、みながいうように大変すばらしいが、また素の室伏さんも楽しいひとだ。声がすごい。

 また本が読めない。舞台の営業も、厄介なものだ。
 なんか、まったりした日であった。
 来年のスケジュールがカタカタ決まる。