ロメール

べーが、蜜蜂のように、花粉=火種をもってきたので、ロメールについて書けなくなったので、前後するが、日にちを遡る。


新文芸座エリック・ロメールのオールナイト上映会。
グレースと公爵
公開当時、飛んで行った映画だ。去年か。ということは、「2年振り」というのは事実に反するな。
まだ、歌舞伎座の塗方をバイトでやってた記憶が、有楽町にこびりついていたのを思い出す。そうして、この映画も、あー、歌舞伎だよーと、うるうるしながら、観たのだった。もう、超絶としか思えない。日比谷シャンテシネでは、リヴェットの「恋ごころ」やオリヴェイラ(だったと思うが)の「家路」を観た。歌舞伎座の帰りがけだ。
 リヴェットのあの映画もたまらないものだった。
グレースと公爵」の書き割り、衣装、調度品。そして、「民衆」というより「暴徒」の記述あるいは表象について。たしかにこれを見ると、反革命であるかのように受け取られるだろうし、実際、ぼくにとっても、少々、ショッキングであった。
 この映画の解剖は、追々やろう。

 あの書記、エリオットが、パスポートを申請するときのおじいさんの書記は、ロメールのような気がするがどうだろう。
 印象的なシーンがあまりに多い。
月夜の光りのもとの遁走。
室内の調度品、色、光りへの細やかな演出。
裁判所の待合所の、自由、平等、博愛のぼろぼろの旗。
粘着質のなんとか市民、ああいう連中は、たしかにいるよな。
ロベスピエールが、格好よく描かれていた。待てよ、あれもロメールのような気がする。
オルレアン公爵の体格。紺色の衣装が印象的だった。
エリオットのベッド。
巡視隊の連中の顔。

「「民衆」の概念論」とかいうのも、学生のころちょろっと書いたことを思い出す。
階級差別の問題から、どんどん遡及していき、そもそも民衆とはだれのことか、ということで、著者名は忘れたが、「歴史のなかの群集」とかいうのもあった…

このへん、また循環しながら、触れていくだろう。
現在の問題意識では、群集の問題は、阿部良雄さんの研究をはじめ、モデルニテを考えるうえでも、なお重要であり、また「ブレヒト問題」においても、最重要な問題領域である。


「私にとって美とは真理への途上にあるものであり、美は真理を見る妨げとはならない。美とは真理の条件である」ロメールユリイカ2002年12月号。

 写真と絵画。
 歴史的真理と、芸術的真理。


緑の光線
これもまたすごかった。以前、ヴィデオでみたら、画像が荒くて、疲れて、なんとも思わなかった映画だったのだが。リヴェットの「セリーヌとジャンは舟に…」と同じ空気を感じる。トランプだかタロットだかのカード。
 トマトをナイフで切る所作も、「春のソナタ」とかぶる。「春のソナタ」もよかった。トマト、フッサール…ソール・ベローの「盗み」と非常に似たものを感じる…首飾り。
 ビアリッツ海岸の美しさ。
プロットの素直な細やかさ。「冬物語」もそうだ。
あの町でついてきたださいを通り越して、変態というがいい男。あんなの、俳優なのか。本物のような気がする。町の人であるなら、ロメールはなんといい意味で底意地が悪いのだろう。

海辺のポーリーヌ
夕暮れの海岸へいたる坂道。この映画、むかしヴィデオで観たのだが、今回、はじめてフィルムで観て、どうも子供のときに観た気がしてならない。
 綾原に、あの時代のもの、70年代から80年代にかけての映画はそうやろ、といわれたが、それはそうとしても、親父がフランスから帰って、フランス映画を観てたのは当然だし、一緒に、なんとなく観てたんじゃないだろうか。とにかく、おそろしいまでに、ある懐かしさを感じる。夏ということで、佐世保や平戸を思い出すせいもあるだろう。
アンリが、ホーゲさんのところで知り合った、もとピナ・バウシュのヴッパタールのダンサーだったジェラルドに似ていた。
格好がかっこいい民族学者という設定。民族学者って、あんなイメージなのか。
まあヒッピーの流れで民族学者になるものもいたと聞いたことがあるし、分かるけど。
クレールの膝」。
ヘンリ−・ジェイムズの「私的生活」をなんとなく思い出した。ベルギーに帰ったさらさんに似た女の子。
湖に接した庭という、ヨーロッパの建築センスは、もう、ありえないほどだ。
山中湖にせよ、周りは大体、道路だもんな。
強いていえば、田貫湖か。

ぼくは勝手にロメールを現在、最高峰だと考えている。ロメールとリヴェットのどちらかだ。DVDセット、買おうかなーって、そんなことはやめよう。

ロメールといえば、日本でも少女マンガにも大きく影響を与えているとどこかで読んだし、実際、そうだろう。べーさん、どうすか。

しかし、映画は、ヴィデオで見るものでは絶対に、ないね。ヴィデオはヴィデオだ。映画ではない。映画とは、映画館で見るものだ。
 もう、映画産業については、いくらも文句がある。シネフィルなんてただの寄生虫だからどうでもいいが、映画の料金の高さ、というかあれは法外である!
 あと、入れ替え制というケチ。もう何年前からか、あるいは東京だからか、20年前はよかった。映画館が映画館であった時代。
 ミニシアター時代で、福岡のキノとかで観ていた。いまおもえば、耽美派くせーどうでもいいばか映画ばっかりだったが。愛の嵐とか。ジュリエット・ヴィノシュとか。
 ジャームッシュとかでファッション化されてもいたな、でも映画と音楽って、「趣味」の最たるもので、それゆえ、ぼくも含めて、みんな感情的になる。
 いやこれはダンスでも舞台でもファッションでもそうか。
「趣味」と感情的コミットメント。
 趣味判断。
 
 美が真理の条件であるとロメール先生はのたもうが、このはてなブログのおかげで、勉強できるな。
 ロメールをいかに批判するか。これも、やんないと。